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言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

トランス・ヴェスタイトのこと

 子供の頃、農閑期に店を手伝いに来るおっさんがいた。農閑期以外も、農業は日が暮れるとやることがあまりないので、毎日のように一杯ひっかけに親の店に来る。親が近場の配達を頼む。(彼は車の運転はできず、原付だけ運転できた。)報酬は酒とつまみ。物々交換の古き良き田舎の景色だ。
 このおっさんが少々トランス・ヴェスタイトな人で、女物のスカーフをいつも首に巻いている。時々、妻の物と思われるスカートや女物のブラウスを着ていた。興が乗ると部分的に化粧をしていた。祭となれば女物の派手な着物を着て、顔全体しっかり化粧をして着飾る。変わった人と周囲も思っていたが、実害のあることじゃないから誰も何も言わない。我が家でもそれを話題にするのはタブー感があり、それについて親と話したこともない。彼は既婚で子供がいた。

 

 大人になって、あれは軽度のトランス・ヴェスタイトではないかと気づいた。トランス・ヴェスタイトとは衣装倒錯者のことだ。倒錯と言ってしまうと変態みたいに聞こえるが、そうではなくて、単に女性服を好む嗜好の持ち主。反対の性別の衣服を着ると変態扱いされた時代があったが、今それを変態と言う人がいたら、その人の見識が疑われるだろう。何故なら「女の服を着てはいけない」には女の服への見下し・軽蔑が根底にあり、それは女という性別への見下しを源としているからだ。有り体に言うと性差別・男尊女卑思想である。
 もちろん子供心に少々気持ち悪いと思っていた。我が家の子供同士ではコッソリそれについて話をしていて、姉達も露骨な嫌悪は示さないが軽い軽蔑を表現した。子供は無知故に差別的、そして無知故に残酷だ。しかし内心はどうであれ態度にそれを出すことはなかった。商売人の子供は他人と接する機会が多く、対人様式において大人びる。でないと客商売はできない。下手に素直な態度など取れば親から叱責される。そんな感じで彼も何も気にせず、居心地良さそうに我が家に通ってきた。

 彼を我々が気持ち悪がったのは女の服を着るからではない。それがメチャメチャ似合わないからだ。農作業で真っ黒に日焼けした顔、紫外線で年齢以上に老化した皮膚、太ってはおらずむしろやせ形で当時の男性としては高めの身長。お気に入りの小物以外は、特にオシャレ感もセンスも感じさせないダサい服。そういうアンバランスさが無知で残酷な子供には気持ち悪いと映った。

 こういう事を一番貶しそうな母親は何故か一切言わなかった。彼女は歌舞伎役者で女形の玉三郎の大ファンで、女装の悪口は言わない。あれだけブーメランが何が分からない言動を繰り返した彼女も、さすがにこの点は分かっていたのだろう。女装を貶したら大好きな玉三郎の悪口を言われる。

 しかし、見慣れてくるとそれが当たり前になり、気持ち悪いとも感じなくなった。似合う・似合わないなど日常の中でたいした問題にはならない。服装なんて習慣の問題でしかない。そういうものだと思い込めば、かなりおかしな格好でも気にならないのだ。

 

 これが異性装者を見た最初の経験だ。当時の自分が馬鹿なりに自重して何も言わなかったことにホッとするし、内心にあった軽蔑の理由を分析すれば、自分の中にある性差別の大きさにガッカリもする。彼に学がなく、お世辞にも利口と言える大人ではなかったことが軽蔑の大きな原因なのだが、そんな有様なのに時々偉そうに短い説教をされるのが不快だった。それと彼の服装や好みは何か関係があっただろうか、と思い出してみると、あまり関係がないのも本当。物を知らない、学がない、みすぼらしいが自分の軽蔑の主な理由。

 我が家には当時とんでもない職業差別があった。農業従事者を馬鹿にする言葉を使っていた。母親は農家の出身で、それ故に商家育ちの父親とは価値観が色々ズレていて、やることもトンチンカンなことがあった。それを我々は口を揃えて「百姓!」と罵っていた。この言葉を最初に使ったのはおそらく父親なのだが、良くない習慣を子供に教えてしまっている。だが、我が家の「百姓」が何を指していたのかと言えば、今で言えば「田舎者」のことだ。文化的に洗練されておらず、近視眼的で無知蒙昧な行動を取ること。それを職業差別な言葉で罵っていた。父親は学がなかったが、職業柄なのか文化的洗練にはこだわりがあったのだろう。

 父親が彼について何か言ったことがあるかはハッキリ覚えていないが、一度くらい貶したような気はする。それはボソっとした、ただの感想として漏れた、「変人だ」とかそんなような一言だった。父は父で自分の美学が凄くある人で、男らしさへのこだわりもとてもあった。我々子供は姉も含め、男らしいと喜ばれ、女々しいことをすると叱られた。特に嫌ったのが泣くことだ。子供が泣くと凄く怒るから、我々は横隔膜が痙攣しても必死に泣くのを我慢したものだった。

 だから肯定的に捉えているわけではないのは感じたが、父の彼に対する態度は非常にフレンドリーで馬鹿にするような事も直接は一切言わなかった。それを自分は「タブー感」と感じ取ったのだろうし、姉達も同じかも知れない。内心を態度に出すような事は一切しなかった。自分は大人一般に不信感と軽蔑があり、誰に何を言われても素直に聞かなかった。ひねくれた態度で一貫していたので、他の大人に対する時と同じようにそういう態度を取った。

 

 日常空間に彼は普通にいて、「あの人はああいうもの」という無関心をもって受け入れられていた。そう、無関心だ。無関心が表面上、差別を消し去っていた。内心の差別心がどれほどあったのかは分からない。自分の価値観と合わない人がいても、実害がない限りスルーする、という態度が商売人だった父親は徹底していた。客などでそれを口にする人がいると、露骨に嫌な顔をした。そういう思ったことをダダ漏れてしまう感じが、父には「文化的に洗練されていない態度」、つまり百姓と映っていたのだろう。だからTVの彼は非常に居心地良さそうに、何年も我が家に入り浸っていられたのだろう。