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言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

スーパーハイファンクショニング

【閲覧注意】以下の内容には知的障害・IQ値への言及が出現します。文脈がどうあれそのような言及を不快に感じるとか、PTSDのある方はご注意下さい。

 

 発達障害の人を見ていてつくづく感じることは、高機能なほど困らない、逆もまた真ということだ。それぞれの能力にはバラつきがあり、ある程度の傾向はあっても人によって得意・不得意が違う。同じ物事への処理能力は個人差が大きすぎて一括りにできないのが発達障害だ。

 高機能広汎性発達障害で言う高機能とは「知的障害がない」の意味で、IQが今ならグレーゾーンを含んで85以上とか、そういう数値を目安にしている。(知的障害は高機能ではない発達障害だ。)
 IQなんてアテにならないのだが(実際に雑な目安でしかない)、グレーゾーンに近ければ近いほど生きにくさは増すし、できないことも増える。あまり根拠のない自分の目算では、得意なこと以外は能力7~8割くらいのパフォーマンスしか出せない気がする。数値上の試算に過ぎないが、IQ120の人がある項目でパフォーマンス70%しか出せないと、その処理能力は84だ。80%でも96。100に満たない。
 もちろん発達だから突出して高い能力を持っている部分もあるのだが、凹んでいる能力が何かによって物事に対する対処能力が低くなってしまい、本人の不便・困り度は大きくなるのではないか。ただでさえ自閉症スペクトラムがあると変化に弱く、臨機応変な対応力が低いとされる。

 

 一般に発達障害と言った場合、高機能広汎性発達障害(High Functioning Pervasive Developmental Disorder:HF-PDD)を指していて、上に書いた通りHFは「知的障害がない」という意味でしかない。そこで「Super High Functioning」という呼び方を考えてみた。IQが115以上、広範囲の学習障害がない場合だ。ここに入る人達は高学歴者も沢山いて(アスペルガー学習障害が出にくいとされているので学力に問題を抱える人は少ない)、この人達は自分を障害者と思わない。実際、障害は「ない」のだ。AS(自閉症スペクトラム)やADHDがあっても壮絶に困ることがない。勿論やってることはしばしばおかしいのだが、周囲もそれを問題行動とまでは思わない。本人はよくよく考えて精一杯やっているとしても、他人からは内部の動きは見えない。理屈で補った一定の社会性を持って行動していたりもするから、ド外れたことはしない。周囲から変人と見なされはするものの、劣っているとは思われない。

 こういった処理能力の生まれつきの高さは生活や仕事全般を楽にする。それだけに落ち込んだ箇所とのメリハリが出過ぎてきついが(人間というのは能力が平均していると捉えがちだ)、能力が均一な人など定型者でも存在しない。誰だって多少のムラはある。その「多少のムラ」として受容される程度と見なされた場合、その人は子供の頃に発達障害が発見されないまま成長する。

 子供の頃、特に問題がなかったのに社会人になってから追い込まれ、精神科を回った挙げ句に発達障害と診断される人が結構いる。仕事や社会生活では処理する情報が多すぎて、几帳面に1つ1つ精査しないと判断できない発達障害者は処理能力がオーバーフローしてショートしてしまうのだろう。

 

 「精査しないと判断できない」のが発達障害の1つの特徴かも知れない。空気を読むことができず、雰囲気を掴むこともできない。通念も刷り込まれにくいから、良く考えないと何のことやらまったく分からない。一定以上の知識(情報)を得て、やっと動き出せる。他の方はどうか分からないのだが、自分(AS)は常にそうで、考えないと何も分からないし、分からないことはまったく分からない。何となくというのがない。

 例えば(サンプル:自分)、腹が空いてない時に「何食べたい?」と聞かれるとまったく判断がつかない。定型者は今食べたいわけじゃなくても何となく食べたい物を思い浮かべられるらしいが、それがまったくできない。それどころか頭が真っ白になるような衝撃さえ受ける。食べ物にまったく興味が持てない状態なのだ。興味のないことは考えられないし、頭に入らないし、記憶もできない。またそのうち腹が空くだろうと予想したとしても無理。先のことを考えられないのだ。それが「アスペルガーは計画性がない」とされる理由だろう。

 あれこれ考えた挙げ句、「今、腹減ってないのに聞くな!」と怒り出したり、「何も食べたくない」と馬鹿正直に答える。定型者なら「何でもいい」と答えるところだろうが、「何でもいい」は嘘になるから言えない。全然何でも良くない。いざ食べるとなったらこだわりが強いから、食べたくない物を食べるのは苦痛だ。でも、いくら考えても食べたい物は思い浮かばない。

 こんな些細なやりとりでも、ここまで頭を悩ませ、でも聞かれたのだから答えなければと必死になり、その結果疲れ果ててしまう。「適当」が苦手。「いい加減」ができない。ASの人が生真面目に見えるのはこのせいだろう。(冗談が通じにくいせいもあるが。)

 

 こんなことを考えるに至ったのは自分のことだけではなく、自分の周囲の人々を観察した結果だ。自分の周辺には昔から発達を疑うような変わった人間が集まるのだが(類は友を呼ぶ?)、SHFと思しき人は他人から見たときの困り度が低い。そう見えるだけで内面は違うかも知れないが、子供の頃に問題が発現しない人もいる。一定の年齢になった時、二次障害がジワジワ出たり急激に処理能力が落ちる。

 その理由の1つ。(定型者も苦手な人は多いだろうが、)発達の人は概してセルフマネージメント能力が低い。しかし、SHFはそれに対してもHFより対処能力が高めだ。理屈で対処してしまう。それは知識なのかも知れないし、合理性なのかも知れないし、論理性なのかも知れない。本人が困らないことは障害とは言わない。だから全体に能力の高いSHFに発達障害があっても、障害として顕現しないことになる。能力の凹凸の程度が酷いと障害として顕れる。一方、軽めの症状でも対処能力の低い人にはきつい障害になり、生活上で実害も出る。
 考えてみて欲しい。高校生くらいの非常に成績優秀な生徒が授業をサボったり、授業中に勝手に教室を出て行ってしまうとしても、周囲はたいして問題視しない。何故なら成績が良いからだ。同じことを勉強のできない生徒がやったら、すぐに落ちこぼれだ、出来損ないだ、不良だと言われる。成績優秀者は大目に見られる。これはランクの高い高校には校則が殆どないのに、ランクの低い高校ではくだらない校則が山のようにあるのに似ている。本人に対する信頼の差が、扱いの差を生み出す。

 

 人の能力には個人差があって、その幅もバリエーションも無限にある。能力の差を責める人がたまにいるが、怠けてやらないのではなくてできない、伸ばそうにも現時点での伸びしろがない、努力をする才能がない、といった人もいる。能力の不均衡が大きい発達は、「それくらいできるでしょう」という言葉に殺されてしまう。できるならやっている。できないからやらない。他の人は知らないが、自分はいつだってギリギリ精一杯で生きていて、手抜きなんか全然していない。それでこの程度なのだから、これ以上は無理と理解して欲しい。

 子供の頃に大人が問題視するほどの問題が顕現しなかったとしても、今困っていないわけではない。他人から見て困っているように見えないからと言って、本人が困っていないわけではない。いつも能力の100%で動いているから、動きすぎな部分も多々ある。が、セルフマネージメントできないからコントロールできない。ノーコントローラブルなのが発達の人だ。それが「大人の社会」では奇異に見えるし、本人も処理が追いつかなくて追い込まれる原因かも知れない。

 

 何が言いたかったかと言うと、「大人の発達障害はインチキ」とか、「子供の頃に何でもなかったのなら発達ではない」と言った酷い言説が世の中にある。が、決してそうではない。自分は酷い忘れ物と遅刻癖があって問題児だったが、発達障害という概念が知られていなかった時代だから健常の子供として育てられた。今なら確実に問題になるほど酷かったのだが、学習障害がなかったおかげで放っておかれた。

 自分の中では違和感は強烈にあるし、色々上手くいかないと感じていた。食べる、寝る、起きる、風呂に入る、人と目を合わせる、イベントではしゃぐといった他の子供が平然と、むしろ楽しそうにやっていることが苦痛を伴った。が、当時はセルフモニタリング能力も低いし、他人の感覚や内面などまったく分からないから、「他の子も本当は自分と同じ気持ちだろう」くらいに考えていた。

 結果、理由は分からないがいつでも崖っぷち感があり、ギリギリで余裕がなく、社会性が上がるまではかなり危ないこともやった。「危ない」とは犯罪スレスレ、もしくは軽犯罪を意味する。たまたま問題にならなかっただけで、今から思うとヒヤリとすることは多々ある。そして一定の年齢になったとき精神症状が一気に出て、どうにもならなくなった。神経症なのか精神なのか心身症なのかさえ分からない状態だった。

 どれほど能力が高そうに見えても内実は分からない。処理能力がどこで追いつかなくなるかは個人差が大きい。それが20歳かも知れないし、30歳かも知れない。年齢ではなく、結婚や転職などで環境が変わった時かも知れない。発達障害の潜伏期間というのは実際あるのだ。