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言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

ミソジニーについて

ミサンドリーについて書いたのでこれも書いておこう。

フェミニストがよく使うミソジニーという言葉の意味は多義的だが、元々は英国の男性専用社交倶楽部のホモソーシャル(単性の社会、この場合は男性のみで構成される場)な関係を説明するために定義された言葉で、直訳だと「女嫌い」になる。未読だが、米国の文学者イヴ・セジウィックジェンダー論・クィア理論で有名)が『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(2001年)の中で定義したらしいが、日本では上野千鶴子氏が『女ぎらい』(2010年)の中で取り上げ(タイトルもモロにそれ)フェミニズム界隈に知られるようになった。

 英国の社交倶楽部は会員になれるのが男性だけ。倶楽部施設内に入れるのは会員だけ。ということで男性だけの空間だった。その中ではミソジニー女性嫌悪)とホモフォビア(同性愛嫌悪)が共有された、という定義。日本でこれに当たるのは体育会系と言われている。(女子選手がいない野球・サッカー・ラグビーなど。)

 この言葉を上野氏が利用しているのだが、フェミニスト(気取りを含め)が使う意味は女性蔑視・男尊女卑に近い。何故なら異性愛者の男性が本気で女性を嫌悪することは難しいからだ。しかし近年の女性優遇社会(では本当はないのだが、女の言うことを聞き過ぎることから一部男性がそう言い始めた)に反発を感じる人々(主に男性)によって蔑視どころではない女性嫌悪が叫ばれ始めている。

 

 英国の男性専用倶楽部(男性専用しか存在しなかったが)では、「女は馬鹿だ」「話がつまらなくて退屈」「一緒にいると疲れる」「女はワガママ」といった男性の不満から、息抜き場所のような働きを倶楽部が持ち、その中は「女人禁制」だった。レディーファーストや騎士道のお国柄故、男性に課せられる過剰な負担からの解放として利用された。

 利用者は貴族や中産階級で、パブリックスクール(私立の学校)を出た金持ち連中。彼らは子供の頃から寮生活をし、男女が厳しく分けられた空間で成長する。大人になって一般社会に戻るが、女性が何の責任も果たさない社会で、すべての責任を押しつけられる。当時の貴族階級・中産階級の女性は働くことがなかったし、家事は使用人がやる。子供を産む以外、役割がないのだ。一方で高い教養を身につけた男性達は、彼女らの話が学がなくつまらないと感じる。結果、「夫の役割」を最低限こなし、余った時間を倶楽部で過ごす。というのがライフスタイルだった。(当時の倶楽部内の雰囲気は映画・小説・マンガなどで知ることができる。)

 どうしてこれがホモフォビアなのかと言うと、倶楽部内での恋愛沙汰は御法度だった。せっかく女性との面倒な人間関係から逃げてくるので、そこでもまた恋愛関係でいざこざがあっては台無しだ。ということで同性愛者を排除する、ということになったらしい。男同士の友情がもてはやされ、女性との恋愛は劣ったものとして軽蔑された。最近流行のブロマンスという言葉があらわすのが、この関係に近いかも知れない。

 しかし実際には同性愛者はいただろうし、人知れず恋愛沙汰もあっただろう。セジウィックの定義は相当にステレオタイプな感じを受けるが、当時は法律で同性愛行為が禁止されていてバレたら実刑だったから、堂々とそういう関係を持つ人はいなかった。

 

 上野氏の『女ぎらい』でも言及されているが、女性を軽蔑しながらも女性によってしか性欲を発散できない男性の葛藤がミソジニーの原因らしい。葛藤があるかは知らないが、女性軽視の一方で女性によってしか発散できない性欲の結果が女性を性欲処理器と見なす考えを生み出すことは間違いない。それならば、やはり女性嫌悪というより女性蔑視と言ったほうが収まりが良い気がする。

 ミサンドリーとの違いが分かって頂けるだろうか。ミサンドリーは男性蔑視ではなく嫌悪だ。嫌悪の裏には恐怖がある。一方でミソジニーには女性恐怖症は含まれない。もちろん人によっては恐怖心に似た嫌悪がある場合もあろうが、多くは軽視・蔑視である。

 

 フェミニストがこのワードを利用するのは、男尊女卑社会を糾弾するのに便利だからだ。しかし現在の日本では、多くの男性が男尊女卑思想を持っていない。非常に保守的な一部の男性はまだそんな世迷い言を言っているようだが、多くの人がそれに共感しなくなっている。だから政治家の失言に女性だけではなく男性も怒りを示す。日本は男尊女卑社会なのだろうか。

 日本の男尊女卑は男性個人の思想というより社会構造だ。会社員と専業主婦の夫婦がモデルケースとされ、女性の社会進出が難しい点。それをしようと思ったら結婚・出産を諦めなければいけない点などだ。キャリアを中断して退職した後の再就職の難しさも原因の1つ。(これは男性でも難しい。)

 だから男性を攻撃しても意味はないし、問題解決にならない。社会構造を変える必用がある。それには「性別役割分担」という間違った通念を破壊する必用があるのだ。それなのに「自称フェミニスト」達は個人的な憎悪を個別の男性や表現物にばかりぶつけ、一向に社会構造の変革に乗り出してくれない。自分勝手な欲望に走る「自称フェミニスト」達は社会の役に全然立っていないのだ。

 それもそのはず、彼女等は保守と変わらない性差別主義者、「性別役割分担」の肯定者、ジェンダーフリーの敵対者だからだ。しかし彼女等の存在に一番困り果てているのはフェミニストだろう。