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不倫は非難されるべきか?

 同じ記事からもう一点。不倫は非難されるべきか?

 「Yes」と言う人もいれば「No」と言う人もいるだろう。人それぞれと言いたいところだが、それでは話が終わってしまう。この問いは「不倫を赤の他人に非難される筋合いはあるのか?」だ。これについて自分の考えをまとめておく。

 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

 そもそも「不倫」という言葉が気持ち悪い。いつ頃から使われ出したのか記憶が定かではないが、倫理は下半身のことだけではない、というか下半身はあまり関係ない。倫理の中でも性規範というのは微妙な問題が多く、時代によって非常に変化が激しい。そういう一時的な風潮で他人の下半身事情をとやかく論じ断罪するのはゲスの極みと言う他ない。冒頭で是非は人によると書いたのは、規範になりにくい極めて個人的なことだからだ。

 では不倫・浮気は良いのか悪いのか。自分にはそもそもモノガミー信仰がないから人とズレた意見しか言えないが、「関係者一同の合意があれば問題なし」と考える。ただし合意がきちんと成り立っているかはよく確認する必要がある。できれば覚書に捺印や署名を頂くと事後にトラブルが少ない。いざとなると手のひらを返す人は結構いるからだ。

 そんな面倒な手続きをするくらいなら複数交際なんかしない、というのが自分のスタンスだが、それは不倫・浮気が倫理的によろしくないからではなく、後で面倒なことになるからでしかない。

 

 では、世間でこれほど不倫がバッシングされるようになった理由は何だろうか。80年代にはこんな空気はなかった。モテて腹が立つというひがみから悪口を言う人はいたように思うが、男女共に二股あるいはそれ以上の複数交際は日常的に見られたし、それを知っても「ああ、そう」程度の薄い反応で、説教を始める奴は滅多にいなかった。自分の周囲だけかも知れないが。

 90年代になってもたいして変わらないのだが、ロマンティックラブ・イデオロギーが猛威を振るい始めるのはちょうどこの頃だ。その裏には「男の浮気は許せ、という風潮」に対する女性からの反発が大きかったように感じる。その主張は当然で、典型的な逆差別だ。「男の浮気はOKで、女の浮気はNG」というダブルスタンダードを解消する方法は2つ。「どっちも駄目」な窮屈な世界か、「どっちもOK」な世界か。人々は前者を選んだ。そして、関係者の合意があろうとも「不倫は社会が許さない」という同調圧力を作り出した。

 

 不倫が良いか悪いかの話ではない。それは状況によるとしか言えない。しかし、他人の下半身事情をこれほど監視される日本は息苦しくはないだろうか。日本は相互監視社会だ。それは支配層にとって都合が良い。規範から外れる者を民衆が勝手にリンチにかけてくれる。権力はそれに無関心を装えば済む。社会規範を盲信する、という態度は、つまりそういうことなのだ。

 そうして皆が苦しいのを我慢しているから、これほど他罰的な社会になる。不満を爆発させて誰かを叩ける機会を虎視眈々と狙っている。「みんなが苦しい社会」で人々は、「みんな我慢しているんだから!」とさらなる圧力をかけてくる。みんなが我慢する社会。それはどこかおかしくないだろうか?