読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

自閉症スペクトラムの世界

 明日まで自閉症啓発週間らしい。4月2日にはイベントも色々行われた。その事に不平を言っている当事者も見かけたが(一日限りのイベントなど何の意味もない等)、それはあまりに弱すぎる愚痴だ。これが最初の一歩となって存在を知ってくれる人もいるだろうし、青いライトが何のことか今回知ることがなくても、いつか「ああ、あれか」と気づく人もいるかも知れない。啓発とはそういうことを指すのであって、日々の支援に直結する話ではない。


 この記事、感覚過敏をしっかり宣伝してくれていて嬉しい。自分のような軽度のアスペルガーだと感覚過敏からくる困り事の比重が大きい。

 

www.huffingtonpost.jp

 

◎聴覚過敏

 小学校時代、運動会のピストルの音が苦手で、両耳を手で押さえていた。しかし自分が走る番だと押さえられない。その瞬間、「色が見える」。目の前に稲光のような白い光が筋状に走り、しばらく視野がおかしくなる。かなりのショックだ。子供の頃、どうして皆がこれほどショックを受けるピストルで合図をするのだろうと不思議でならなかった。

 運動会と無縁になってからピストルの音は聞かずに済むようになったが、不意をつかれて咳をされても似たような現象が起きる。目の前に白っぽい光が炸裂するのだ。意外とクシャミは平気。クシャミのほうが音は大きいが、破裂音が咳のほうが多く含まれるせいだろう。これは他人と暮らしていると避けようがない。

 自分の場合、破裂音が最も苦手な音で、逆に多くの人が嫌う「黒板やガラスを爪で引っ掻く音」にはそれほど嫌悪感がない。嫌な音ではあるが、普通に嫌な音でしかない。ショックを受けるのは破裂音。だから犬の吠える声も苦手。犬は好きだが、飼うのは難しい。それに次いで苦手なのはモーター音。音質が似てるのか赤ん坊の泣き声も大の苦手だ。(幼児など年齢が上がると反比例して苦痛は下がる。)口を鳴らす音。(楊枝を使ってチッチッとやるあの音。)だから掃除機もかけられないし、ラーメンやソバをすすって食べる事も出来ず極度の猫舌。

 たかが聴覚が過敏なくらいなら音さえ避ければ大丈夫だろうと思われるかも知れないが、音から来るストレスがかかっている状態で他の作業をしていると、両方からのストレスでパニックを起こしやすくなる。判断力が落ち、ミスをしやすい。

 

◎触覚
 触られただけで痛いように感じる時があって、不意を突かれるた時が特にきつい。反射的に手でこすってしまうので大袈裟と言われて、そうならないように軽く払うようにしたが、まるで触られて汚いと思ってるみたいで、それはそれで不快だろうと思う。しかし、自分で触って感覚を消さないと結構長い時間、弱い痛みに似た感覚が残ってしまう。
 

◎味覚

 居残り給食という拷問を小学校時代に受けた。何故あんなことをするんだろう。無理に食べさせても吐くだけなのに。(実際吐いたことがある。)食べ物の好き嫌いをなくすことに何の意味があるのだろうか。自分は物凄い偏食だが、体は丈夫なほうだ。足りない栄養素は他の食べ物で補うから問題はない。
 自分は好き嫌いが激しく、普段の食生活はベジタリアンに近い。成人するちょっと前まで肉は殆ど食べられなかった。見た目が駄目で食わず嫌いなものも多かった。食わず嫌いと言うと軽く見られがちだが、無理して口に入れると吐く。気持ち悪いという思い込みが吐き気中枢を刺激してしまう。

 肉が食べられるようになったきっかけは、学生時代のまかないつきのバイトだった。あまりに腹が減った状態で、しかしおかずは肉系が多い。どうしようもなくて食べた。(おかずを食べずご飯だけだと足りなかった。)そうこうしてるうちに、美味しいとは思わないが反射で吐かなくはなった。が、こういう荒療治は他人から強いられたらトラウマになるし、食べられるようにもならない。自発的にやるから効果があるのだ。

 今では豚肉は食べられないが(匂いだけで駄目)、牛肉と鶏肉は食べられる。魚もだいたい食べられる。苦手な人が多い青魚も、調理法にはよるが食べられるし、子供の頃まったく駄目だった魚卵類もほぼ食べられるようになったが、こうなるまでには長い時間がかかった。子供に無理強いするのは逆効果だ。放っておいても本人が何とかする。偏食で体を壊すことは滅多にない。

 

 もう1つ挙げれば、自分は就職するまでコーヒーがまったく飲めなかった。小学校時代、大人びたことをしたくてインスタントコーヒーを作って飲んでみたのだが、苦くてとても飲めなかった。砂糖と粉末コーヒーミルクをいくら入れても駄目。まさに「大人の味」だ。自分は概して「大人の味」が苦手だ。辛いもの、苦いもの、酸っぱいもの。梅干しも食べられなかったし、レモンも食べられなかった。

 これは味覚が非常に敏感なせいだろうと思う。食べ物商売だった父親は結構食い道楽だった。(ちょっとゲテモノっぽいものも好きだった。ゲテモノまで言ってしまっては好きな方に失礼なのだが、自分からしたらゲテモノに思える。ホルモンや豚足が大好物。自分は今でも食べられないが。)父親の食い道楽で助けられたことは多い。美味しいものを食べられたからだ。作るものも(ゲテモノ以外は)、母親の酷い料理よりずっと食べるのが楽だった。母親の料理はいわゆる家庭料理というか田舎料理というか、苦手だった。はっきり言って不味い。

 世のお母様方は、子供が好き嫌いが激しいなら、自分の料理の味を疑ってみたら良いと思う。不味いものを食べさせられるのは苦痛でしかない。舌が肥えた子供ほど苦痛は大きい。発達の子供は「食えないほど不味い」の閾値が低いのだ。贅沢なのでもなんでもない。自分が給食が食えなかったのも「不味すぎるから」だ。「この食材は不味い」と学習してしまうと他の料理でも食べられなくなる。大人になって食べられるものが増えた理由は、美味しい調理法を知ったからだ。自分の作るものが美味しく感じるのは、味覚が自分の好みに合っているから。

 

 好き嫌いの原因となるのは味覚だけではなく、「口の中の感覚が敏感」でもある。自分はガリっとしたものが苦手で、感触を感じた途端に反射で吐く。卵の殻、エビやカニの殻、魚の小骨などだ。そのためサクラエビが食べられないし、沢ガニ・川エビも駄目。子供の頃はプチプチした感触も駄目で魚卵が食べられなかった。「たかがそれくらいで大袈裟だ」という言葉は禁物だ。どれほどの感触を感じていて、それがどれだけ苦痛かは人によってまったく違う。

 また、視覚から入る情報でも不快感は増大する。自分は「汚い古布」が視野に入っていると食事ができなかった。汚い古布とは汚れたふきんだったり、古い布の端切れだったり、他人が着ている古びて薄汚れた服だったり。他にも薄汚れたり曇った食器に入っているものは食べられない。この「汚い古布」はトラウマと化しているようで、古布を食べて気持ち悪くなる夢を繰り返し見る。

 

◎視覚
 視覚は光だけではない。色の好みも障害で左右される。自分が青と黒を最も好きな色としてるのは、好みの問題だけではない。どんな体調でも着れる、どんな時でも見て苦痛がない色だからだ。色の好みが障害に影響されていると気づいたのはごく最近だ。

 調子が悪い時に苦手な色が視界に入るのは相当に苦痛だ。自分の場合、それは暖色系で、特にオレンジ・ピンク・黄色が苦手。調子が悪いとき(過敏性が強く出ているとき)は視界に入らないように工夫する。調子が良いと赤は割と好きで、着ることもある。

 一方で寒色系はどんな時でも気にならない。白っぽいと駄目なのだが、濃い色・暗めな色なら大丈夫だ。寒色系と思われがちな緑や茶色は、実は意外と刺激がある。逆に紫は刺激がない。結果、自分のワードローブは黒・青・紫・濃いグレーで埋め尽くされている。

 

◎嗅覚

 すべての感覚が過敏なわけではない。自分の場合、嗅覚と「自分の体がどれくらいのサイズか分からない」で鈍磨がある。だからあちこちぶつけることが多く、動くときは細心の注意を払う。注意してないとすぐぶつけるのだ。他に気を取られたとき、うっかりぶつけるのは誰にでもあるだろうが、この「うっかり」が非常に多い。だから動作をするときは動作に集中しないと危ない。結果、やたら用心深い人間になった。

 嗅覚は以前も書いたが腐った匂いに鈍感で、ウンコ臭にも鈍い。猫がそのへんにウンコをしていても気づかず踏んづけたり、布団などにされても気づかず日にちが経ってから干からびた状態で発見したりする。臭覚全体が鈍いわけではないのだが(苦手な匂いには敏感)、特に腐敗臭とウンコ臭には鈍い。おそらくガス漏れにも気づきにくいだろう。自分が気づく異臭は相当強烈なものだけだ。

 だから衛生を保つのは結構大変で、自分が臭いということにも気づきにくい。電子レンジの中で置き忘れた鶏肉が腐っていたこともあるが、これもまったく気づかず開けてビックリだった。一方で、蒸れた匂いは苦手で、蒸れ臭いものは食べられない。酸っぱい系の匂いも苦手。(味も苦手。)上京したての頃は、電車の中で鼻にハンカチを当てていることが多かった。

 

 ここからは五感とは少し違うが、自閉症スペクトラムの人が苦手なことをまとめておく。サンプル=自分なので、これで網羅できているわけではないだろうし、同じ現象がない人もいるだろう。自閉症スペクトラムの人には一定の傾向はあるが、一人一人がかなり違うことも覚えて欲しい。

 

◎人と目を合わせられない

 感覚過敏のせいなのかは分からないが、視線を合わせるのは苦手だ。しかしそれは人から批判されやすい。「人の目を見て話せ」など怒られる。目を合わせると今度はいつ逸らして良いか分からない。ジッと目を見続けて苦痛を感じる。結果、視線恐怖症になった。

 自閉症の人の中には目をジッと見てきて視線を決して逸らさない人もいる。あれは一度見てしまうと視線を逸らせなくなるからだろう。本人に苦痛がないならそれでも良いのだが、自閉症スペクトラムの全員が視線を合わせられないわけではない。ただ、視線を合わせられない人のほうが多い。

 

◎髪や頭を触られるのが苦手

 子供の頃から頭を触られたり撫でられるのが苦痛。手を払い除けることが多かった。そのため小さい頃は「可愛げのない子供」と言われ続けた。可愛げがないのはそのせいだけではないのだが、子供が取ると非常に生意気な態度だろうと思う。しかし、他人様の頭を安易に触るのは失礼ではないのか。タイ国では子供の頭を触ると親に怒られるそうだ。(子供の頭は精霊が宿る神聖な場所とされるため。)

 髪を触られるのも苦手だから、中学から床屋に行かず自分で髪を切った。当然、恋人同士のイチャイチャで髪を触られることも苦痛。頭を押さえつけられるのも苦痛。理解ある恋人と付き合わないと危険だ。

 ついでに言うと、体をベタベタ触られるのも苦手なので、イチャイチャはかなりハードルが高かった。性行為で接触するのは良いのだが、それ以外は「触んじゃねーよ」になる。自分の中では接触=性行為という紐付けが出来ているので、相手が行為に及ばないと怒る結果にもなる。意味なく触ってはいけない。

 

◎予定変更が苦手

 臨機応変が出来ないから予定の変更はかなりきつい。仕方のない事も多いので対応はするが、ストレスは想像以上に強い。

 具体的な例を挙げると、食べようと思って出かけた店が定休日であるなど。仕方がない事ではあるのだが、じゃあ代わりに何をとなると何も思いつかない。結果、何も食べずに帰宅したりもする。人と一緒にいると、相手が「じゃあ××にしよう」と言ってくれるので良いのだが、独りだと決められない。こういう事がないように店の定休日をチェックしたり、第二候補を予め決めておくように心がけてはいるが、突発的に起きる時もある。食べようと思っていたメニューが終了なども同じカテゴリーだ。

 

 上の例などは凄く困るというほどではないのだが、凄く困るのは電話をかけて来た人が、「後でかける」と言って切る場合。急に電話をかけられるのも予定が狂うから対応が大変なのに、そこを頑張って対応していると切られる。そして、何分後かも分からない。他のことに切り替えるわけにも行かず待っている。また電話がかかってくる。続きを話す。ここまでは出来る。もう一度「あ、やっぱりまた後でかける」と切られると、こちらも本気で切れる。忙しいならかけてくるな、と言いたい。一度は対応できる。二度は無理。でも、怒ると自分のやった失礼な行為は棚に上げて「怒りっぽい」と言われる。

 この行為には2つの問題点が含まれる。1つには「何分後にかけ直す」という情報提供がない。いつまで待たされるのか分からない状態は自閉症スペクトラムの人にとってかなりの苦痛だ。何故なら、その状況・対応が「中断できない」からだ。これが2つ目の問題点だ。内部では継続していて、待ちの状態になっている。待つのは苦手なほうだが、ある程度は我慢もする。しかし「いつ再開されるのか」が分からないとストレスが強い。二重にストレスがかかっていることになる。

 「中断ができない」のは、中断すると再開することが困難だからだ。どうでも良くなってしまったり、興味を失ったりする。もう一度興味関心を向けるのが大変なのだ。しかし予定がはっきりしていると対応が可能な場合も多い。だから自閉症スペクトラムの人にはこまめに予定を伝えると良い。例えば、待たせる場合でも「ちょっと待っていて」ではなく、「5分待っていて」と言えば怒らない。5分以内に来ないとしても、多少は我慢できる。しかし、いつまで待てば良いのか分からない状態だとイライラが募りやすい。

 「的確な指示」は自閉症スペクトラムの人には非常に重要だ。曖昧な言い方では理解できないことが多いから、正確に伝える必要がある。そうすると本人のストレスは格段に少なくなる。「ちょっと黙ってて」ではなく「30分間、黙ってて」と言えば大人しく30分待つ。小さい子供でもない限り、怒ったりはしない。そして30分経つと堰を切ったようにしゃべり出す。その時には「よく我慢したね。えらい」と声をかけてあげて欲しい。(大人相手なら「ありがとう」。)努力して出来たことを褒められるのは好きだ。「出来て当たり前」と言わないで欲しい。本人はかなり我慢しているのだから。

 

◎主語の省略・指示代名詞に弱い

 話し言葉だと日本語は主語を省略できる。これに弱い。自分に向けて言っているのだから主語を「あなたは」で補完してしまう。その後に続く内容が批判的だった場合、自分が批判されたと理解する。その前の話の流れで主語が特定できる場合もあるのだが、出来ない場合もある。だから主語はできるだけ省略しないで欲しい。

 指示代名詞にも弱い。「それは」とか「あれは」といった言い回しだ。文脈である程度までは何を指しているのか分かるのだが、分からなくなる時もある。そこが分からないと文章全体の意味がまったく取れない。頭が真っ白になる感じだ。自分がこういう状態になってる場合、たいてい相手の文脈がおかしい。文字に書き起こして読み返してみたら分かる。こちらの能力、理解力の問題ではない。話し手の失敗なのだ。

 何故これが起きるのかと言うと、短期記憶力が抜群に良いからだ。頭の中でメモを取ってるくらいに正確に覚えている。だから文脈がおかしなことを言われると混乱する。だから、「その言い回しはおかしい。何故ならば、さっきこれこれと言ったのだから繋がらなくなるはずだ」となる。非常に理屈っぽく見える。が、理屈っぽいのではなくて臨機応変な対応力が低いのだ。正確な文章でしゃべるのは疲れるとは思うが、理解できなくなるので出来る範囲で気をつけて欲しい。

 こういった現象が起きるのは記憶力のせいばかりではない。何となく雰囲気で把握することが苦手なのだ。思ってもいないことを言ったり、適当に相づちすることもできない。生真面目・融通が利かないと言われる所以だ。言葉の不正確な使い方でも引っかかる。自分がよくやることなのだが、全体の主旨を取るよりも言い間違いで引っかかって全体の意味が理解できなくなる。1つの単語の使い間違いで意味を見失いがちだ。こちらの能力が低いというより話者の能力が低いから起きることなのだが、そこを責めはしない。しかし理解は困難になる。相手に分からせたいと思うのなら、より正確に話して欲しい。無理なら要点を紙に書いて渡そう。レジュメを元に説明されると非常に分かりやすい。

 

◎並列処理が苦手

 以上、思いつくままに書いてみたが、読んで「何だ、普通じゃん」と思われた方も多いと思う。そう、我々は普通なのだ。誰にでもあることが、他人に理解不能な形で表に出ているだけで、宇宙人でも異性物でもない。しかも、そこから受けるストレスはメチャメチャに強い。些細な事が些細でなくなる。それが「過敏」という世界なのだ。

 また「重なるとパニックを起こしやすい」点も覚えておいて欲しい。1つ1つなら対応可能な範囲でも、2つ3つ重なると対応できなくなる。誰にでもあることだが、自閉症スペクトラムの人は並列処理が苦手なため(シングルタスクとよく言われる)、2つの刺激に対処するときストレスが強くなる。それぞれのストレスを足した数ではなく、かけ算になってしまう。

 自分の場合、不快な刺激が2つまでは何とか我慢できるのだが、3つは無理だ。癇癪を起こしそうになったり、実際に起こす。それは実に些細なこと、ハエが頭の周りを飛び回ってうるさい+猫が鳴き続けてうるさい+パソコンの動作が重くて作業が中断されがち程度で切れる。ハエがうるさいで受けるストレスも通常人より強いし、猫がうるさいも同じ。そこに「作業がしばしば中断される」が加わるから限界を超える。

 こういった「切れやすさ」を責める人は、自分がどれだけ変動する出来事に対応できているのかを客観視して欲しい。たいしてできてやしないから。違いがあるとすれば、我々はスルー力が極端に低い点だろう。感覚過敏にスルー力は期待できない。自分の周囲で起きる諸々のことをまともに受け取ってしまい、ストレスを溜める。ストレス耐性が低いと言うより、ストレスが多いのだ。だから適応障害を起こす人が多い。