言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

XジェンダーとFTMの違い

 質問のほうは今回スルーだが、ベストアンサーがなかなか考えさせられるので考察してみたい。

 

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FTMとFTXはまったくの別物

 自分は性別違和で性自認は男性。そのため自分ではXジェンダーという自覚はない。とはいえ未治療の身体の性別は生まれた時の状態だから、周囲から見るとそう見えるのだろうと考えていた。しかし、そうではなかったようだ。FTMとFTXには明確な違いがある。

 今まで、FTMMTFとXジェンダーの違いを性規範の受容という視点で考えたことがなかったが、性規範へのこだわりは(肯定・否定両方あるが)かなり強い。既存の規範への強い反発がある一方で、自分が持つ規範への強い執着がある。自分と関係ない性別である女性には「こういう傾向がありがち」程度の認識と、自分が押しつけられてきた規範の知識があるだけで、規範は持っていない。どういう女性でも本人が女性と認識する限り(それがMTFでも)、女性と見なすし、女性として扱う。一方で、男性への規範はこだわりが炸裂する。自分がそうありたい姿と、自分の好みのタイプの両方が混じり合い、その評価はいつでも激辛だった。

 既存の性規範に対する反発(それを容認すると自分が生きにくいから)から、自分の立場はジェンダーフリーに近い。そこだけ見ればXジェンダーの主張と重なる点は多い。しかし、自分の性別に強いこだわりを持っていて、自分の中での規範を捨てようとは思わない。性別にこだわらない人からしたら偏執的だと思う。社会規範の性別とはだいぶ違うが、自分の性別イメージはかなり強く、明確なのだ。

 自分は自己流に再解釈した性規範に従っていて、性規範自体を完全に消滅させようとは望んでいないのかも知れない。つまり性規範を受け入れている部分があるのだ。Xジェンダーが性規範に自分を適合しようとしないのだとしたら、自分とは明かに違う。自分は内面的性別と社会的性別が不一致なだけなのだ。

 

◎身体への嫌悪が強い

 上の記事で感心したのは、性自認と社会的性別を重視する一方、生物学的性別を軽視する傾向への指摘だ。自分の場合はまさにそうで、自分が性別を語る時に主に問題とするのは自分の内面的性差文化と社会規範となっている性差文化だけだ。肉体的性別の事はあまり話題にしない。言っても仕方がないからもあるが、身体への嫌悪は多分にある。だから身体の性別を極端に軽んじる。

 前に「身体違和は少ない」と書いたのだが、是が非でも性別適合手術を望む人に比べたら少ないという話で、実際には醜形恐怖に似た嫌悪感が結構ある。子供の頃から写真を撮られるのが大嫌いで、人間と似た姿をした人形やサルのオモチャが苦手だ。この醜形恐怖は自分の身体への嫌悪が原因かも知れない。もちろん人間の姿が「不格好」と感じるのも理由の1つなのだが、自分の性別を自覚しなければいけなかった中学以降は、性別への嫌悪も強く混じっているように思う。

 

◎願望と自認は別問題

 しかしこの回答がすべて正しいわけではないだろう。性規範にどれだけ自分を合わせるかはFTMMTFでも個人差がある。必ずしもSRSを希望するとも限らない。Xジェンダーが身体的違和を全員、まったく持ってないわけでもないだろう。そこも人によって差が出る。

 特に、無性化願望とXジェンダーの絡め方には引っかかりを感じる。Xジェンダーにも無性・両性・中間性とタイプ別のセルフイメージがあるだろうし、それらがどれも「身体への執着」なのかは自分には分からない。しかし、個々人のイメージに従っているなら性別二元論の埒外にいるとは言える。

 

 「願望」で言えば、自分は両性具有というイメージが好きだ。それを知ったのはギリシア神話あたりで、中学の頃だった。ギリシア神話の場合は「ふたなり」のイメージそのままだ。半身ずつ性別が違うアシュラ男爵やインド神話のシヴァとパールヴァティの合体神(アルダーナリシュヴァラと呼ぶ)とは別で、女性の乳房を持ち、男性の生殖器を持つ。おそらく女性の生殖器も持っている。ヘルマプロディートスもしくはアンドロギュノスと呼ばれるが、アンドロギュノスは男女がくっついた球体の体で表現されるので、現在の両性具有のイメージはヘルマプロディートスだろう。ヘルマプロディートスもアルダーナリシュヴァラも神話的イメージだ。

 こういったイメージの遊戯は誰でもあるだろうと思う。しかしそれをもって自らの性別とはしないし、現実に生活する上でそれを再現しようとはしない。しかし無性の人がアセクシャルだった場合、少々事情は違うかも知れない。アセクシャルの人は性行為をしない。アセクシャル・アロマンティックとなると恋愛もしないから、無性でいることが現実的に楽だ。ジェンダー性的志向は完全に別問題なのだが、生活上はそれぞれの影響を避けられない。たとえば自分のように男性を性的対象とする場合、表面的に女性に見せかけておくのは極めて有利となる。性行為は若い時には比重の大きい問題だから、有利になるようにファッションも妥協する。

 

◎Xジェンダーは第3の性か? 

  「第3の性」という言い方があるが定義は曖昧であり、ただの言い回しに過ぎない。インドのヒジュラーがそう呼ばれることが多い。ヒジュラーとは半陰陽・両性具有の意味だが、実際にはMTFや女装した男性同性愛者。男性器をかなり乱暴な方法で切除していたりもする。稀に自然に両性の特徴を持つ人も混じっているらしいが、当然、数は圧倒的に少ない。生業は舞踏・演奏、新生児の祝福や売春。この場合、「男性とも女性とも言えない人」というより、元は男性で現在は女性として暮らしている人達だ。似たような存在(元が男性で女性として暮らす)ではメキシコのムシェもある。

 性分化疾患インターセックスDSD)に言及すると、彼ら・彼女らは「第3の性」を自認しない場合が多い。ジェンダーは男性か女性のどちらかが殆どだ。ヒジュラーやムシェも女性として暮らしていて、身体的特徴から完全な女性ではないと見なされるだけだ。そういう意味ではどのケースも「第3の性」と呼ぶにはふさわしくない。

 

 ジェンダーにおいて「男でも女でもない」と「男であり女である」の意味はとても離れている。「男でも女でもない」人は男性・女性のどちらの規範も受け入れない。「男であり女である」人は両方の規範を受け入れ、自分の中でミックスしている。このミックス状態を自分はクィア性と認識している。両性を兼ね備えるという形で、この人達もまた性規範の一部に属している。

 一方で「どちらでもない」人達は既存の性規範を完全に無視するのだろう。アンドロギュノスは両性具有なのだから、語義的には「男でも女でもある」人達に冠されるべきだ。どちらでもない無性の人はそれとは違う。

 

FTMMTFは「第3の性」ではない

 Xジェンダーが明示的に男性・女性のどちらでもないとするのに対し、FTMMTFは明確な性自認を持つ。つまり男性か女性かどちらかだ。それ故、TG(トランスジェンダー)を「第3の性」と呼ぶのは間違いだ。「第3の性」と呼んで良いのは、本人が「第3の性」を自認している人のことだけで、つまり自分を男性でも女性でもないと認識していたり、両方もしくは中間だからどちらかで呼ばれたくないという人達だ。

 同じ問題は性分化疾患で顕著だ。肉体的に定型ではないとしても、ジェンダーは男性か女性どちらかなので、ジェンダーに応じて扱われる必要がある。FTMMTFも肉体的には非定型となるがジェンダーは明確だ。それを勝手に「第3の性」と呼ぶのは失礼極まりない。

 どういうことかと言うと、たとえば事故や病気で性器の一部を欠損した人がいるとする。男性なら睾丸や陰茎で、見た目でハッキリ分かってしまう。その人に向かって「あなたは陰茎がないから男ではない」と言えるだろうか? その人は生まれた時から男で、不幸にして事故か病気で体の一部を失った。それを「もはや、お前は男じゃない」と言うのは残酷ではないのか?

 それと同じことなのだ。理由は色々だが、何らかの事情で男性器が欠損している男性がこの世にはいる。その一部は事故や病気、一部はTGだ。TGの一部は男性器がないことに劣等感を抱いている。そこをえぐるような言葉を投げつけるとしたら、それはただの暴言に過ぎない。少なくとも自分は「第3の性」などと呼ばれたくはない。