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言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

パーソナリティ障害とは

精神障害 発達障害

 パーソナリティ障害は精神疾患ではないが、境界性パーソナリティ障害精神疾患の1つとして扱われ、精神障害認定の診断名として有効だ。元は人格障害という呼び方だったが、「人格が障害している」というと誤解や偏見を生みそうとのことから改称されたらしい。しかし英語にしてみたところで意味は同じだ。

 60年代に「精神病と神経症のどちらかと言えない」状態を指す意味で「境界例」という言葉が使われ始めた。(言葉自体は1928年から存在する。)続いて1980年に改訂された『精神障害の診断と統計マニュアル第三版』(DSM-Ⅲ)で、境界型人格障害がクローズアップされた。日本では、80年代にはマスコミが使う程度だったが、90年代に「ボーダー」という疾患名で定義がなされ、困った性格の人達をそう認定するブームが起きた。自称ボーダーが巷に溢れかえった。後に、日本における「ボーダー」の提唱者が「インチキだった」と発表すると、潮が引くように自称ボーダーは消えたが、94年にDSM-Ⅳが改訂され、中で境界型を含む多様な人格障害が詳細に定義されたことから新たなボーダーブームが到来する。

 ブームというのは精神医療界の流行のことで、流行すると医師がその診断名をやたら付けたがるため患者数が急増する。90年代には一般に人格障害の知識は知られておらず、「人格は治療不可能なため不治の病」という誤解が蔓延し、診断名を付けられた患者が絶望したり、境界型の定義にある行動を模倣するといった現象が見られた。こういう流行はその後もあって、近年では自己愛性パーソナリティ障害と新型うつ(ディスチミア親和型うつ)だったらしい。

 境界例やボーダーと境界性パーソナリティ障害は少し違うのだが、境界型人格障害境界性パーソナリティ障害だ。自己愛性パーソナリティ障害が注目される前はやたらに境界性の診断を付ける医者が沢山いた。今で言えば自己愛性の人も当時は境界性と診断されていたほどだ。

 

◎パーソナリティとは何か

 パーソナリティ障害とは何かを考えるには、精神医学や心理学で言う人格の意味を知らないといけない。その前に性格と人格は別、という話をしよう。性格とは、持って生まれた気質をベースに形成される(内的な)もので、環境(経験)が影響を与えはするが、環境が同じでも個性が出るのは気質(先天的要因)の違いだと考えられる。勿論、年齢や経験で変化しないわけではないが、その変化の仕方も気質に大きく影響される。

 一方で人格とは、社会と関わる上で形成・発露される行い・振る舞いのことで、性格をベースに発達するが、内的なものではなく外部に露出する部分を指す。性格は個人的なもの(社会と無関係に存在するもの)、人格は社会的なもの(社会との関わりで存在するもの)と捉えると分かりやすい。つまり、人格とは常に他者から観察された結果でしかなく、誰とも接触しなければ人格は顕現しないのである。

 

 そのため人格は社会参加によって形成される。乳児には性格はあっても人格はない。幼児になり、保育園に通ったり近所の友達と遊ぶ時、人格は表面に出てくる。それは他者を前にした時の振る舞いである。この時期には、多く気質がそのまま出ている。人と関わることによって人格は形成され、成長する。母親をはじめとする家族との接触では社会性があまり求められないため、家族以外と接することで形成が進む。

 勿論、家庭は「小さな社会」でもあるので、幼児が自分と一体の存在と認識する母親や主たる養育者以外の家族と接することでも形成は進む。兄弟姉妹や接点が少ない父親との接触だが、最近では子育てに積極的な父親も増えたので、やはり兄弟姉妹との共同生活で学習することは多いと思う。欲しい物を我慢したり、泣いていたら慰めたり、喧嘩したりといった些細な日常で、子供は多くのことを学習するのだ。

 ただ、この「小さな社会」は他者がいるという点では社会の一部なのだが、そこにいるのは赤の他人ではないから、厳しさはあまりない。ワガママも聞いて貰えるし甘えることもできる。最近は独りっ子も増えたのでなおさらだろう。それ故、保育園や幼稚園で同じ年頃の「訓練されていない人格」と向き合うことで人格形成は大きく進むのだ。大人は既に「よく訓練された人格」だから子供の言うことを聞いてしまったり、野放図な感情放出をしない。未熟な人格と接触することで、その未熟さに対処する方法を学ぶ。だから保育園や同じ年頃の子供と遊ぶ機会は非常に大切だ。

 

 こういった性格と人格の明確な区別を精神医療はしないのだが(性格と人格は一連のものと捉える)、性格障害ではなく人格障害と呼ぶのは人格が社会に与える影響、社会と適応する上で問題を生じる故だ。あくまでも社会に対する人格を問題にしている。ちなみに、英語では人格も性格もパーソナリティとなるから、実は性格障害でも間違いではない。性格はキャラクターという単語もある。気質はテンパー。テンパーには性格や機嫌という意味もある。(カタカナ英語ではカンシャクの意味で使われることが多い。)

 「人格障害は治らない」と誤解されたのは、性格と人格の意味を同一と考えたためだ。確かに性格は直す直さないという問題ではない。性格が変な人はいつまで経っても変なままかも知れない。しかし、変な性格と受け止められる要素を表に出さなければ、少々変わった人と思われても「性格が変」とまでは言われないだろう。つまり、それが人格なのだ。今のように認知療法行動療法が知られていなかった時代でもあり、「性格は変えられない」と同じ意味で「人格障害は治らない」と一般に言われていた。

 

◎パーソナリティ障害の定義

 以下、ウィキペディアから「パーソナリティ障害」の一部を引用。

 

世界保健機関(WHO)による全般的診断ガイドライン
 粗大な大脳の損傷や疾病、あるいは他の精神科的障害に直接起因しない状態で、以下の基準を満たす。
(a) きわめて調和を欠いた態度と行動を示し、通常いくつかの機能領域、たとえば感情、興奮、衝動統制、知覚と思考の様式、および他人との関係の仕方などにわたる。
(b) 異常行動パターンは持続し、長く存続するもので、精神疾患のエピソード中だけに限って起こるものではない。
(c) 異常行動パターンは広汎にわたり、個人的および社会的状況の広い範囲で適応不全が明らかである。
(d) 上記の症状発現は、常に小児期あるいは青年期に始まり、成人期に入っても持続する。

 (世界保健機関、ICD‐10 精神および行動の障害—臨床記述と診断ガイドライン 新訂版)

 

 脳の外傷や疾患が原因とされない、調和を欠いた行動(激高・興奮・感情制御の欠如、衝動制御の欠如、対人様式の異様さ)が観察される場合にパーソナリティ障害と診断される。ここで言う「異常」とは精神病的なものではなく、あくまでも異常行動だ。といっても片足で立ち続けるとか地面を転げ回るといった異常行動ではない点に注意。

 (e)以下は省いたが(d)を残した理由は問題提起したいからだ。同じくウィキペディアの同項目から引用。

 

<アメリカ精神医学会による全般的診断基準>
A. その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った、 内的体験および行動の持続的様式。この様式は以下の領域の2つ(またはそれ以上)の領域に表れる。
 1.認知(すなわち、自己、他者、および出来事を知覚し解釈する仕方)
 2.感情性(すなわち、情動反応の範囲、強さ、不安定性、および適切さ)
 3.対人関係機能
 4.衝動の制御
B. その持続的様式は柔軟性がなく、個人的および社会的状況の幅広い範囲に広がっている。
C. その持続的様式が、臨床的に著しい苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
D. その様式は安定し、長期間続いており、その始まりは少なくとも青年期または成人期早期にまでさかのぼることができる。
E. その持続的様式は、他の精神疾患の現れ、またはその結果ではうまく説明されない。
F. その持続的様式は、物質(例:薬物乱用、投薬)または一般身体疾患(例:頭部外傷)の直接的な生理学的作用によるものではない
( アメリカ精神医学会、精神疾患の診断・統計マニュアル、IV-TR)

 

 こちらのほうが分かりやすい。Dにあるように、パーソナリティ障害は青年期または成人期早期から発生する。WHOの(d)には「小児期あるいは青年期にはじまり」とあるが、小児期には人格は形成途中だ。人格が固まっていないのに障害とは言えないし、子供は一時的におかしな行動を取るのが普通だ。特に顕著な異常性は小児期から兆候が見られると言いたいのかも知れないが、たとえば小動物を殺すといった極めて異常な行動を小学生は平気でする。それは反社会性パーソナリティ障害の兆候かも知れないし、そうじゃないかも知れない。少なくとも高校生くらいにならないと人格への評価はできないのではないか。というわけで自分は「青年期から兆候が見られ、かつ継続している」を主張しておく。

 

 やっと本題。具体的にパーソナリティ障害にはどのようなものがあるかをウィキの同項目から引用。

 

A群:奇異型
 風変わりで自閉的で妄想を持ちやすく奇異で閉じこもりがちな性質を持つ。
・妄想性パーソナリティ障害
  世の中は危険で信用できないとして、陰謀などを警戒しており、自己開示しない。
スキゾイドパーソナリティ障害
  とにかく1人で行動し、友人を持たず1人で暮らすことを望む。
・統合失調型パーソナリティ障害
  幻覚や妄想といった統合失調症と診断されるような症状はなく、病的ではない程度の風変わりな行動や思考を伴っており、人生の早期に表れそして通常一生持続する。しかし、現在ではより受け入れられやすいアスペルガー障害とすることも多い。

 

B群:劇場型
 感情の混乱が激しく演技的で情緒的なのが特徴的。ストレスに対して脆弱で、他人を巻き込むことが多い。
・反社会性パーソナリティ障害
  少年期の素行症による非行の段階を経て、利己的で操作的な成人となり、人を欺くが周囲には気づかれにくい。中年になると落ち着くことも多い。
境界性パーソナリティ障害
  他者に大きな期待を抱き、非現実的な要求によって人を遠ざけてしまったり、喪失体験をしたときに、自傷行為に至ることがあり、不安定な自己の感覚や人間関係があり、衝動的な側面を持つとされる。中年になると落ち着くことも多い。
・演技性パーソナリティ障害
  自己顕示性が強く、その時に演じている役柄に影響され、大胆に振る舞う。
・自己愛性パーソナリティ障害
  他者に賞賛を求め、自分が特別であろうとし、有名人との関係を吹聴したり、伝説の人物のつもりでいて、他者の都合などは度外視している。

 

C群:不安型
 不安や恐怖心が強い性質を持つ。周りの評価が気になりそれがストレスとなる性向がある。
・回避性パーソナリティ障害 Avoidant personality disorder
  人付き合いが苦手であり、批判や拒絶に敏感であり、新たな関係を避けがちであるが、スキゾイドパーソナリティ障害とは異なり、人間関係は希求しており、親しい人を何人か持っている。青年期前後にさらに回避的になってくることがあるが、加齢と共に寛解してくる傾向がある。
・依存性パーソナリティ障害
  何かを決めることも、身の回りのことも手助けが必要であると感じている。
・強迫性パーソナリティ障害
  完璧主義であり、他者に仕事を任せられず、くつろぐことも、気のままに行動することもできない。

 

 以上10種に加え「その他」として複合型があるとされる。

 A群のスキゾイドとは統合失調症のことで、統合失調質とかシゾイド型とも呼ばれるのだが、このネーミングは随分と失礼な気がする。破瓜型の統合失調症が未治療で進行し、人格崩壊を起こすと他者にまったく興味を向けなくなり、自分の世界に引きこもってしまう。それをイメージしてのネーミングだろうと思うが、他人に興味を一切向けないくらいでそこまで言われる筋合いはない気もする。また、統合失調型パーソナリティ障害と名前が似ていて紛らわしい。

 統合失調型じゃないかと思う例に会ったことがあるのだが、統合失調症とはまた違う妄想(統合失調症の妄想ではなく思い込みやこだわり、時に見立て)を持ち、しかもそれが長期間継続し、結構つじつまもしっかり合っている。このタイプの妄想は妄想型統合失調症に似ていて、思考力の低下などは見られない。ただ対人様式の異様さは際立っていて、結果として孤立型である。

 妄想型は陰謀論者などによく見られるが、世に溢れる陰謀論者がすべてこれというわけではない。また、統合失調症の妄想型とも違う。実例を見たことがないのでいまいち分からない。

 

 境界性や自己愛性は劇場型と呼ばれるグループだ。何故そう呼ばれるのかと言うと、対人様式に特徴があるからだ。人に積極的に働きかける点(気を引く、執着するなど)、他人の評価を過剰に気にする点、他人への働きかけの手法に一定の様式がある点など。演技性も含め3者には連続性(スペクトラム)があるとされる。私見では、境界性や演技性が悪化すると自己愛性に発展し、自己愛性がさらに酷くなると反社会性に近くなる。境界性や演技性は人格がある程度固まった16~29歳で目立ち、30歳を過ぎると徐々に穏健になっていく場合もあり、人格の未熟さとも深い関係があるように感じる。一方で自己愛性が悪化するのは30歳以降で、年をおう毎に行動様式の異様さは度を増す。

 A群は他人に対して興味関心が薄く、他人と関わりたいという欲求も希薄だ。B群は逆に、他人がいないと自分の存在を確認できないような心情が強く、他人を通して自分を確認するような振る舞いを繰り返す。劇場型といっても演技っぽいという意味ではない。演技性パーソナリティ障害も大袈裟な言動が目立ちはするが、他人の人格を演じているのではなく、自分が期待されていることを察知して大袈裟に過剰にやって見せたり、場や相手によって人格が入れ替わるほど態度が違ったりするため、人格に一貫性がないように見える。そのため多面的な人格を見た人は、どれが本来のその人の人格かを判断できなくなり不気味な感じを受ける。

 

 自己愛性は他人を道具のように扱い、決して人間扱いしない。利用するためには同情や共感も演じるが、表面的なもので内心は非常に冷淡。思い通りにならないと手のひらを返したように冷たくなったりする。自己愛性という名前とは逆に、このタイプの人は自己愛が低い。自尊心も低く自分に自信がないため、自分を尊大に見せるため頻繁に嘘をつく。嘘をつくことに良心の呵責はない。こう言うとソシオパスのように見えるが、実際ソシオパスの一部は自己愛性ではないかと考えている。

 自己愛が低いと言う理由は、他のパーソナリティ障害からここに進む人はたいてい社会的成功を収められていない。実績もなく自分は偉大だと言い張るから異様なのであって、実績がある人がそれを誇ってもそれほど異様ではない。また過剰な自慢も特徴だ。人から羨望されようとするため、とんでもない嘘をつく。嘘をつかなければいけないのは、自分の実像では誰も自分を尊敬しないと知っているからだ。つまり自分に自信がない。その一方で自慢にもならないことを必死にしつこく自慢し続けたりもする。そのため他人の評価には鈍いところもあって、お世辞でも満足する。

 反社会性パーソナリティ障害はサイコパスとも呼ばれ、犯罪傾向で知られている。というか、犯罪をするから反社会性と呼ばれる。この人達も嘘をつくことに躊躇はなく、他人を傷つけることにも良心の呵責はない。人を操って目的を達成しようとする。極端に冷淡で、他人と共感する能力はない。他人が苦しむのを見て快感を覚えたりもする。こう書くと自己愛性と類似しているが、自己愛性の人は犯罪傾向はない。一応、社会規範や法律は守る。だが、それ以外の点では振る舞いに共通点が多く、二者を分けるポイントは犯罪性だけだろう。

 劇場型の人が他人に働きかける様式を「操作」と呼ぶ。他人を操作するように思い通りに動かしたがる。劇場型と呼ばれる理由はそれもあるかも知れない。演出家が役者に指図して動かすように、他人が自分の指示や期待に従うことを要求する。そのため関わると非常に消耗が激しいタイプだ。境界性と演技性がそうする動機は、好かれたいからなのだが、自己愛性と反社会性の動機は目的を達成するためだ。目的とは自分の利益だ。利益の中には賞賛はあっても愛情はない。そういった情緒的なものは理解ができないのだ。だから「人に嫌われる」ことに鈍感でもある。境界性と演技性は嫌われることに極端に敏感で、過剰に反応する。

 

 C群は不安型と呼ばれ、回避性の人はとにかく他人に恐怖心が強く、ネガティブな評価を恐れるあまり他人と関わり合うことさえ避けるようになる。非常に繊細で、拒絶されると立ち直れないくらいショックを受ける。そうなる前に自分から遠ざかったりもする。失敗を過剰に恐れるのは、精神の脆弱さの故だろう。極端に打たれ弱い。

 依存性はアルコールやギャンブル、薬物の依存ではなく、人間関係に依存する人だ。ただし依存できる人間関係が得られない時には、アルコールやギャンブルに逃避する場合もないではない。常に他者に依存することを求め、何でも指図を受けようとする。依存関係を作りやすいのは境界性もだが、境界性が不安定で激しい感情を持つのに対し、依存性は不安が強い。性格は一般に大人しいが、依存対象に固執する時は驚くほどの頑固さを見せ、引きはがそうとすると暴れることもある。

 強迫性は強迫性障害精神疾患)との区別が難しそうだが、いわゆる強迫神経症とは違う。実例を知らないので詳しいことは分からない。

 

 長くなったので次の記事に分けるが、何故、パーソナリティ障害について詳細を書こうと思ったのかと言うと、発達障害を持つ人が診断されるケースもあり、また誤診もされやすいからだ。自分は境界性の診断を2度受けているし、回避性も非常に強い。アスペルガーの行動様式が必ずしもパーソナリティ障害と一致するわけではないが、一致してしまうと誤診が起こりやすい。その他、統合失調症躁鬱病双極性障害)との誤診も目立つし、ADHDはディスチミア親和型うつ病と間違えられやすい。