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言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

境界性パーソナリティ構造

 図書館で借りた『境界性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』(講談社)に「境界性パーソナリティ構造」というチャートが載っていて大変興味深かった。(同書、P24~25)

 チャートはここに書けないので関係が分かるように書き出してみる。チャートの出典は、『精神分析研究』第40巻第2号(岩崎学術出版社)。

 

・境界性パーソナリティ構造:境界性|→自己愛性→悪性自己愛性→反社会性 外交的↑

                 |→演技性―→依存性

                 |    |→ヒステリー性格

                 |→軽躁病―→気分循環性――→うつ病被虐性格

 

             シゾイド|→妄想性→サド・マゾ的性格→うつ病被虐性格

                 |→心気症性→妄想性→強迫性

                 |→失調性              内向的↓

 

 ちょっと分かりにくいのだが、境界性とシゾイドをベースのパーソナリティ構造とし、境界性が自己愛性を経て悪性自己愛性に至り、反社会性パーソナリティ障害に進む。境界性は自己愛性にならず演技性になる場合があり、その場合は依存性かヒステリー性格へと進む。または軽躁病を経て、気分循環性に進み、うつ病的被虐性格に至る。

 シゾイドは妄想性を経てサド・マゾ的性格に進み、うつ病的被虐性格に至る。または心気症を経て妄想性に進み、強迫性に至る。またはシゾイドから失調性に進む。ここで言う失調性は、統合失調症型パーソナリティ障害ではないかと思う。妄想性の妄想の内容は多く被害妄想で、統合失調症の妄想型とは内容が違うようだ。

 上の書き方では、外交的なほど上に、内向的なほど下に並べた。境界性は中間から少し外交的、シゾイドは内向的な性格とされる。自己愛性や演技性はかなり外交的な性格だ。境界性全体では「回避型境界性」がいるので「かなり外交的」とまでは言えないが、「かなり外交的な境界性」ももちろんいる。

 

◎パーソナリティ構造とは

 

 これらの性格分類を「構造」でさらに分類している。

・低レベル境界性パーソナリティ構造:境界性、軽躁病、シゾイド、妄想性、心気症性、失調性

・高レベル境界性パーソナリティ構造:自己愛性、悪性自己愛性、反社会性、演技牲、依存性、気分循環性、サド・マゾ的性格

神経症性パーソナリティ構造:ヒステリー性格、うつ病被虐性格、強迫性

・精神症性パーソナリティ構造:非定型精神病

 低レベル・高レベルというのはベース型の境界性、シゾイドからの離れ具合なのだろうと思う。

 

 これを見て、得心がいった事がいくつかある。以前から境界性をこじらせると自己愛性に進むのではないかと考えていたのだが、ここでは関係がそのように図式化されている。自己愛性と反社会性も同じだ。境界性、自己愛性、反社会性には共通した特徴もあり、構造の近さをかんじさせる。また、演技性や依存性も似た点がある。しかし、演技性と自己愛性には共通点が少ない。

 もう1点は、自己愛性にはかなり邪悪な性格が見られる場合があり、反社会性との共通点を以前から指摘しているが、「悪性自己愛性」という定義を用いれば、スッキリいくと気づいた。僕がソシオパスとして「良心の欠如」や「共感の欠如」を特徴として上げるパーソナリティだ。

 

 さらに同書には、

・境界性パーソナリティ構造は、神経症レベルと精神病レベルの中間的な存在として位置づけられいます。現実との関わりを失うほどではありませんが、さまざまな問題をかかえやすい状態です。

カーンバーグの唱えたBPO(境界性パーソナリティ構造)は、さまざまなタイプのパーソナリティ障害を含む概念です。現在、診断名として用いられている境界性パーソナリティ障害は、BPOのなかの一部の状態を指しています。

・成人の発達障害にみられる衝動性や、うつ病にみられる気分の浮き沈み―これらは境界性パーソナリティ障害の症状とよく似ており、関連が疑われています。複数の障害をあわせもつ状態と診断されることもあります。

と解説がついている。

 本来、境界例は「精神病と神経症の境界」として定義され、そこから境界性の定義が出来ていった。典型的な境界例は幻聴・妄想を伴う場合もある。それが境界性となると「問題のあるパーソナリティ」につける診断名みたいになってしまい、現実との関わりが希薄なシゾイド(統合失調質)と対比的に、他者に積極的に関わっていこうとするタイプ(能動性が高い人格)が境界性とされた。この時には「精神病と神経症の境界」という意味は失われ、「さまざまな問題ある人格の境界」という意味に変わっている。何の「境界」かの意味づけが変わっているのだ。

 

◎必ず悪化するとは限らない

 

 上のチャートで注意して欲しいのは、すべての人がチャートの右のほうへ進むのではなく、停滞する人も多い。境界性のままで自己愛性に進まない人のほうが数は多いだろうし、自己愛性の人がかならず反社会性に進むわけではない。むしろ進んでいくほうが少数派だろう。

 通常、境界性や演技性は年齢を重ねると軽減すると言われている。軽減せず「こじらせた人」が自己愛性に進んだり、反社会性に進んだりする。個人的にはこのタイミングは30代ではないか、と考えている。良性の自己愛性なんてパーソナリティはあまりないとは思うが、悪性自己愛性にまで至らず、自己愛性で止まる人もいるだろう。それは一定の成功を手にし、ある程度の満足を自分の人生に感じられた人達だ。そうでないと悪性に進むのではないかと考えている。悪性に進まない人は「自己中な人」という評価程度で済むんじゃないだろうか。

 同じように、シゾイドも心気症や妄想性に進まず、シゾイドのまま生涯を終える人もいるだろう。サド・マゾ的性格とは、性的嗜好で言うサドマゾの事ではなく、サディスティック・パーソナリティ障害やマゾヒスティック・パーソナリティ障害の事だ。このパーソナリティについては矢幡洋先生の『パーソナリティ障害』(講談社選書メチエ)に詳しい。

 

◎境界性は邪悪な性格、でも改善は可能

 

 個人的には境界性は邪悪だと思っている。僕自身が診断されているのだから、これは悪口ではない。愛着障害だけなら邪悪さはない。しかし境界性は人を相当意地悪く試そうとしたり、操作しようとしたり、裏切られたと感じた時には猛烈な復讐心を燃やす。総じて害意が強い。そして自己愛性と並んで「フェアネス」の感覚が欠如している。一方的に要求を叩きつけ、それが叶えられる事を期待する。

 しかし、この邪悪さは子供のような無知さや想像力の弱さによって起きている場合もある。自分のやってる事を相手の目線で見る習慣をつけ、フェアネスの感性を磨くと、短期間でも見違えるほど改善する。下位承認を求めるのをやめて(これが一方的な要求の根拠になりがちだからだ)、対等な関係を築く。どっちが上だ下だとか言い立てるのをやめ、被害者に回り込むのをやめる。被害者根性を捨てること。公明正大な人間であろうと努力すること。これだけでも相当に改善する。自己愛性に比べたら、境界性は改善が容易だ。

 間違えてはいけないのは、「他人に良く思われよう」ではなく「良い人間に自らなろう」と考えること。他人に良く思われようとすると依存性が悪化したり、ズルさを身につけてしまい自己愛性に進みやすくなる。自己評価が一定しないとか自分の価値観が一定しないのが境界性という説もあるので(僕はこれがまったくないけど)、そう感じたらまず「自己確立」を目指すのが良い。「自分をしっかり持つ」。そうすれば他人の評価や判断に振り回されにくくなる。