言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

女性恐怖症かも知れない

 僕は女性恐怖症かも知れない。社会不安障害(SAD)に似たパニック発作があるのだけど、それを過去起こした2回とも、相手が女性だったからだ。

 SADだと言い切らないのは、他の人のSADとちょっと違うような気がするから。SADは対人恐怖症とも言われる。他人が怖いという恐怖症だ。僕は普段、他人を怖がる事はない。恐怖心はむしろ薄くて、考え無しで無謀なところもある。非常に勝ち気で好戦的でもある。そんな性格で対人恐怖と言うのも不思議な感じがする。

 緊張は(普段から)強いが、あがり症なのかも分からない。知らない人に会うのが緊張するという事もない。ある意味、図太い。ただ昔から視線恐怖と先端恐怖がある。視線恐怖は他人に会うのを億劫がらせる。おそらく軽度の醜形恐怖もある。それでも結構あちこち出かけて行くし、人混みが苦手という事もない。

 

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 社会不安障害(SAD)は上記のような、言わば「あがり症」のようなもの、とされている。僕はあがり症ではない。人前でしゃべるのは好きではないが(注目を浴びるのが苦手なので)必要ならするし、できる。黒板に字を書くのは本態性振戦があるので苦手だけど、普通の体調なら下手なりに書く事ができる。赤面する事は滅多にないし、手に汗をかいたりもしない。

 子供の頃は緊張が今より強く、朗読も黒板に書くのも嫌だった。自分は無駄に体に力を入れてると気づいたのが20歳前後で、それからは意識して力を抜くようにしている。だらしなく、姿勢悪く立ったり座ったりするよう心がけている。できるだけキチッと立ったり座ったりしない。それは、体に力が入ると緊張状態になりやすいからだ。力を意識して抜いて、姿勢を悪くする事で自分はリラックスしていると脳に思わせる。

 子供の頃の振戦も徐々に出なくなった。あまりハッキリ覚えていないが、発作のような「頭が真っ白になり、息がしにくい」状態は経験があったと思うが、鮮烈に覚えていないのは強い恐怖を伴わなかったからだろう。

 

 それが30歳を過ぎて、ある日突然、激烈な症状に見舞われた。心療内科の薬を飲んでいて拒食気味になり激痩せし、振戦がぶり返したのがキッカケだった。振戦を人に見られる事に恐怖心がある。小学5~6年生の時、クラスでイジメられていた子が振戦持ちで(イジメの原因はそれではなかったが)、からかわれた事があったからだ。人に馬鹿にされる事が小さい頃から非常に嫌いだった僕は、振戦がバレたら自分もからかわれるのじゃないかと恐怖した。バレる事はなかったが、恐怖心は刷り込まれた。トラウマだ。

 ある日、一人で街に出かけ、誰もいないと思った場所で突然、営業の女性に話しかけられた。頭が真っ白になり、喉が詰まって発声ができない。膝がガクガク震え、立っているのがやっと。相手のしゃべっている声がワンワン響き、聞き取れない。視野が物凄く狭くなり、周りが見えない。それでも必死に「おかしな様子」を覚られないように頑張って、その場を立ち去った。それが最初の発作だった。

 この状況は、「大勢の人の注目を浴びている」のでもなければ、「(大勢の)人前で何かする」状況でもない。一対一で、周囲に人もいなかった。相手は若くきれいな女性で、恐怖を与えるような要素はない。社名を明らかにしての営業なので、無謀な事をされる心配もない。

 2度目は、仕事中だった。こちらは大勢の人が集まる場所で、やはり相手は小柄な女性で、向こうも仕事だから所属を明らかにしてのやり取りで、何の不安も覚える余地はなかった。周囲に人はいたが、僕が特に注目される状況ではなかったから、やはり一対一に近い場面だ。症状は前とまったく同じ。

 

 2度目となると、さすがに予期不安が起きた。手が震えるため人前で文字が書けない。外出時は常に友人か連れに付き添って貰うようにした。自分で字を書かなくて良いようにだ。仕事はやる気がせず、徐々に減った。相変わらず人混みがつらいとか、知らない人が怖いという事はなかった。友人と一緒であれば遊びで外出もできた。ただ不安は強かった。特に視線恐怖は悪化した。

 苦痛を伴う外出は通院だった。というのも待合室が苦手だった。父がアルコール依存症だったため、酔っ払いが怖い。あの独特の割れ鐘のような声が苦手だ。アルコール依存の患者の中には、飲んでいない時も酒で焼けた声で大声で話す人もいる。この影響で声の大きな男性も苦手だ。酔っ払いなら女性でも苦手だ。不幸にも、通っていたクリニックはアルコール依存の外来が多かった。待合室にいる事が苦痛で、通路の喫煙所で待つようになった。これがいよいよ通院するのが嫌になった。

 

 断薬は以前にも経験があったから、あまり問題ではなかった。切って離脱が強く出る薬の処方も受けていなかった。最初の発作から数年後、とうとう通院をやめてしまった。外に出る事は以前にも増して苦痛だった。そのまま半年間、ベッドに寝たまま過ごした。24時間、横になったままなので腰が痛くなるほどだった。

 うつではないと思っていた。というのも、真っ暗な状態で脳内では延々と長編のストーリーを作り続けていたからだ。目が覚めてもベッドから起きず、電気もつけず、ひたすら話を考える。新しいアイディアが出ない時は既に作ったプロットをなぞって手を入れた。それをすべて脳内でやった。とにかく腕一本動かすのも嫌だった。ただひたすら、現実逃避し続けた。

 半年ほど経って、さすがにネタ切れを起し、疲れてやめた。しかし部屋からは一歩も出たくない。この完全ひきこもり状態は更に2年ほど続き、徐々に連れと一緒に近所に出歩くようになった。他人が怖いという感情は強くはなかった。ただ他人を避けようとはした。回避性の絶頂期だ。

 

 ひきこもっている間、暇なのでネットをした。SNSには女性が多い。僕はネット歴だけは長いので、場に応じた対応もそれなりにできる。ゲームをよくやっていたせいもあるが、ネット友達が増えていった。

 見ず知らずの人とネットで接するようになって、最初のうちは男性に警戒心を持った。性別を男にしていたので、異性愛者の男性は邪険だった。それはむしろ快適。セクハラを受ける事もなく、性別でマウントされる事もない。が、男性は同じ男に対しては態度が丁寧でない人も多くて、隙さえあればマウントしてくる。その生態も、彼らの見栄の張り方も可笑しかった。

 社会的に女性として長く暮らし、女子ホモソーシャルの独特の気配りを知っている僕は、男性の中では非常に人あたりが良く、女性を怒らせる事が少ない。まずセクハラを絶対にしない。つまらない自慢をして女性の神経を逆撫でする事もない。女性はおおむね平和的で、マウントをしかけられる事もないし、話しやすいと思っていた。しかし、その油断がまずかった。

 こちらが男だと思っているから、女性達はどんどん甘えてくる。理不尽な攻撃(逆恨み)を受ける事もあった。性別による差別や中傷も受けた。話が通じない場面も度々あった。どんどん女性が嫌いになった。なるほど、世の男達はずっとこんな目に遭っているのか、と分かった。

 

 男でも女でも頭の悪い人はいるし、性格の悪い人もいる。性別ではなく個体差や人格の問題だ。それは十分分かっているはずなのに、強烈に失望していった。何度か場を変えて、信頼できる女性を探そうと必死になった。

 その間も男達とのやりとりは相変わらず。何かにつけて人を馬鹿にしようとしたり、自分を大きく見せようと必死そうに見えた。そういう事には免疫がある。子供の頃から常にライバルは男だった。別に何を競うというわけでもないのだが、男にマウントを取らせない事がプライドだった。口論で負けた事は一度もない。腕力と体格しか取り柄のない馬鹿ども、というのが僕の男性評価だった。

 性的な誘いと取れるような事も何度か経験した。僕はそういう事にはあまり否定的ではない。女性もどんどんナンパして遊ぶべきと思っている。しかし自分がされてみると、その手口に呆れかえった。しつこさもハンパない。ゲイの男性からもアプローチとおぼしきものはあったのだが、彼らは気が無いと分かるとスッと引く。無駄な時間を使うのが勿体ないと言わんばかりだ。その現金さも僕には快適だった。異性愛者の女性の場合、気が無いと言おうがパートナーがいると言おうが、甘えるのをやめない。自分はどんな場合でも大切に扱われるべきとでも信じているようだった。その図々しさと陳腐な気の引き方にげんなりした。そのげんなりは、かつて異性愛者の男達に感じたのと寸分違わなかった。

 

 僕は男性恐怖症はないと思う。怖いのは酔っ払いや切れてる相手だけで、そんなのは誰だって怖い。若い頃はたまに痴漢に遭ったが、恐怖を感じた事はない。苛立つだけだ。しつこい声かけおじさんにつきまとわれても怖いと思った事はない。腹が立つだけだ。男にもズケズケとものを言うから、若い頃はオッサンにたまに切れられた。いきなり大声で威嚇して来る。それも怖いというより、マヌケ過ぎて笑ってしまう。腕力で押さえ込まれると恐怖より腹が立つ。

 女性に対しては、普段は恐怖を感じない。彼女らはたいてい好戦的ではないし、腕力で負けるとしても武器を持てば相手を倒せる。能力的には下と思えば怖がる必要もない。理不尽な事をまくしたてられての感情爆発はもちろん怖いが、それは女性に限った事ではない。

 では、あのパニックの原因は何なのか。まず強烈な違和感。自分とは異質な者への違和感だ。さらに「同じ女性」としての同調圧力。自分が「振る舞わなければならない」、要請されているものへの拒否反応。しかし、その要請に応じなければいけないという社会的圧力。処理能力の低い僕は簡単にオーバーフローしてしまう。

 5年間のひきこもりの後、やっと外に出るようになった。僕が選択したのは、「できるだけ女に見せない」ことだった。見た目が変なら同類と思われなくて済むかも知れない。以前は悪目立ちしないように、ちゃんと女装(僕にとっては仮装の一種だ)もしていたのだが、やめる事にした。「女として振る舞え」というプレッシャーにはこれ以上、耐えられない。それは「できない」事だったのだ。それに気づくのが遅すぎて、二次障害を抱え込んでしまった。