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アスペルガーはオキシトシン欠乏症?

 「幸せホルモン」とか「恋愛ホルモン」とか言われるオキシトシンというホルモン。正確には「信頼ホルモン」らしい。ストレスが取れるとか、多幸感が出るとかで巷で人気らしいのだが、アスペルガーの治療薬になるのではないか、という話がある。

 自閉症スペクトラムオキシトシンの受容体が少ないのが原因ではないかという説があり、オキシトシンを補填することで協調性・信頼行動・愛着行動が改善するのではないかと期待される。現在、点鼻薬(花から吸い込むスプレー)が開発されている。ザッと見たところ、個人輸入などで1本(30mlボトル)5000円台くらい。

 

 僕は使ったことがないので何とも言えないが、知り合い(ADHD+ASD)が使った感想を以前聞いたところ、かなり良かったらしい。その時は「集中力が増す」「物事の整理がつく」「手順が組み立てられる」という感じだったからADHDの薬かと思ったのだが、むしろ自閉症スペクトラム向きらしい。

 ストレスが取れて多幸感が出るのは良いとは思うのだが、「愛着行動」というのが引っかかる。アスペルガーは他人に愛着をちゃんと持つ。特定の人に愛着を持ちすぎて、色々マズい事になるくらいだ。アスペルガーのタイプにもよるのかも知れないが、自閉症アスペルガーは別物だ。(高機能自閉症アスペルガーとするウィング派では一緒らしいが。)

 

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 愛着行動で思い出したのだが、最近では愛着障害と区別されるようになった境界性パーソナリティ障害アスペルガーと合併しないとされていた時期がある。理由は「アスペルガーは他人に愛着を持たないが、境界性パーソナリティ障害は強烈な愛着を持つから」だろう。今では「合併しない」とする説のほうが否定されているようだが、こう考えたのもオキシトシンを念頭に置くと納得できる。(正しい説だという意味ではない。)

 

 境界性パーソナリティ障害に至る原因は様々だろうが、よく言われるのが親からの愛情不足や、身近な者からの手ひどい裏切りの経験だ。単なる愛情不足ならそんなに屈折する事にはならないから、それは愛着障害として見たほうがスッキリする。自分を含め、境界性パーソナリティ障害の人達が持つ屈折した心理は、もっと複雑な経緯があるように思う。

 1つには、人間関係での大きな挫折の経験だ。親から否定されて育つとか、友人に手ひどく裏切られるとか、酷いイジメに遭うとか。もちろんそういった経験をした人でも境界性パーソナリティ障害にならない人のほうが多いだろう。性格(気質)やプラスαの要素があって、そこに至るのではないかと思う。

 

 しかし、原因はどうあれ境界性の人は単純に他人の愛情を得ようと努力したりはしない。むしろ嫌がらせとしか言えないような行動を繰り返す。そこにあるのは人への不信、得られないものへの憧憬と怒り、得る事への不安と恐怖だろう。適度に必要な分だけとは考えないから、”All Or Nothing” になる。「すべてか無か」で中間がない。

 そういった屈折した心理を抱えながらも、境界性の人は他者に関わって行こうとする。憎悪であれ愛着であれ濃密に、執拗に、積極的に関わろうとする。それは特定の誰かの場合もあるし、特定の数人だったり、場合によっては不特定多数だったりする。相手(他者)の注意を引くためなら手段を選ばない。そのやり方はしばしば不快で、破壊的で、自滅的だ。プライドが高いくせに下位承認を執拗に求め、上位承認を得ようとしない。ここが自己愛性パーソナリティ障害との決定的な違いだと僕は考えている。

 一方で、自閉症スペクトラムの人々は他人への興味関心が希薄とされる。自閉症だから当然だろう。だが、アスペルガーは「コミュニケーションの問題」が自閉症とは違うかも知れない。他者に関心がないわけではなく、愛着の対象を見つけ出すと人懐こくすらある。もちろん「想像力の問題」で相手の都合は一切考えないから一方的で、しばしば度を超す。他人との距離感がつかめないから、極端に疎遠か極端に馴れ馴れしいかのどちらかだ。その「やり方」に馴染めば少々手はかかるが、いたって可愛らしい存在ではなかろうか。(と自分では思うのだが。)何と言っても嘘をつかない(嘘がつけない)。

 

 さて、こんな行動を取るアスペルガーの積極奇異型の一部は、本当にオキシトシン欠乏症なのだろうか。もちろんオキシトシンの効果は愛着行動だけではない。上のリンク先では協調性・社会性が改善すると期待されているようだ。

 協調性にせよ社会性にせよ、確かに信頼は重要なカギだろう。まずもって僕は他人に何かを任せる事ができない。仕事でも家の中の事でも、他人がやる事は納得がいかない。だから何でも自分でやろうとする。もちろん「専門家」を信頼はする。しかし肩書きで信頼する事はないから、医者としょっちゅうモメる。自分が「なるほど、さすが専門家だ」と思う面がなければ相手を信頼する事はない。ありとあらゆる「専門家」に対し、そういう態度だ。もちろん、その能力を評価する相手には全幅の信頼を置く。こういった極端な他者評価も特徴だろう。

 「他人に任せられない」のが相手を信頼できないからなのは明らかなのだが、それは「他人のやり方は気に入らない」からであり、「結果、出て来たものが思い通りではない」からだ。単なる不信というのとはちょっと違う。

 

 社会性が低いのも協調性が低いのも信頼と関係あるかも知れないのだが、むしろこれはミラーニューロンの少なさが原因ではないか、とも言われる。ミラーニューロンは模倣を司る。発達障害の人達がよく口にする「模倣が下手」というのは、この関係かも知れない。

 僕自身、ごっこ遊びはした事がない。物まねが大の苦手だった。他人を見てアイディアは得るのだが、それを自分がする場合は真似をするのでは上手くいかない。絵は苦手ではなかったが模写が下手で、とにかく独自な感じにアレンジしないとどうしようもなかった。要するにかなり不器用なのだ。(自分で工夫した事に関しては不器用ではないので、他人から酷く不器用だと思われる事はあまりないのだが。)

 ただし社会ルールや規則に対しては「信頼ホルモン」が上手く働く可能性はある。通常、人の言う事を鵜呑みにする事はまずない。「こう決まっている」と言われても納得がいかないと規則への信頼は皆無だ。合理的な理由を見つけると初めて納得する。「何となくそう決まっている」事に関しては不信感が強い。この部分は「信頼ホルモン」で対応できるのかも知れないが、この性質が悪いものだとは到底思えない。

 それから、「想像力の問題」はオキシトシンではどうにもならない気がする。強烈なこだわり、興味関心の狭さも。色々不信感はあるにせよ(これまたアスペルガーの故かも知れないが)、機会があったら点鼻スプレーを使ってみたいとは思う。(正直、そんな金があったらテストステロンを飲みたいけど。)

 それと、信頼が足りないのは何も自閉症に限った事ではない。対人恐怖症(社会不安障害)にも効果があるらしいが、その他の神経症や不安障害にも効果が期待できるのではないだろうか。アスペルガーオキシトシン欠乏を単純に紐付けするのには納得はいかないが、新しいものが発見されるのは色々な可能性を感じさせて良い事に違いない。ただ、一元論的な盲信だけは警戒すべきだろう。