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言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

アスペルガーと恋愛

発達障害 自分史

 (記事から引用)

 「恋愛は多くの人が体験するもので、アスペルガー症候群だからといって恋愛にまったく興味がないというわけではありません。

 アスペルガー症候群ではない人と同じように恋愛に興味のある人もいれば恋愛に興味のない人もいます。」

 

karadanote.jp

 

 改めてこんな風に書かれると、「あれ?俺達って恋愛できなんだっけ?」という気分になる。あらゆる属性内に恋愛に興味のある人とない人が混在している気がするのだが。自分個人は確かに恋愛脳ではないし、恋愛が何か分かっていないのだが、それがアスペルガーの特徴かと聞かれると甚だ疑問ではある。

 

 自分が感じている発達障害者の特徴として、「概念が入りにくい」がある。気持ちが想像できないや情緒がズレているのとも関係があるのだが、通念や常識が獲得しにくい。これは模倣の下手さに関係があるのだろうと思う。模倣が下手といっても、人によって何の模倣が苦手かは差があるのだが、自分の場合は「人の真似」全体が苦手だ。だから大抵のことを「自分で工夫する」羽目になった。アイディアは他人を見て得る。しかし、それを自分がやる場合は自分のやり方でしかできない。

 人間という動物は生活や行動様式が非常に複雑で、大抵のことは後天的に学習しないとできない。放っておくと生存さえ危ない脆弱な生き物だ。教えなくても周囲を見て真似をして獲得することも多いのだが、アスペルガーの子供はこれが苦手な場合がある。集団に入った時、一人だけズレた行動を取ることが多いのはそのせいだろう。「どうしてそれをやるのか」が理解できないと行動もできない。狐にでもつままれたようにキョトンとしてしまうのだ。

 恋愛に対しても同じじゃないかと思う。自分が恋愛が分からないと感じるのも、世間並のステレオタイプな行動様式を自分が取りたいと思わないし、できないからだろう。概念には定義が必要で、定義はつじつまが合ってないと意味をなさない。周囲の人に聞いてみても答えがバラバラでは、自分で考えて定義するしかなくなる。

 

 「概念が入りにくい」と言う理由は、考え方を真似することができないからだ。まず、意味が分からないと記憶に留めることも難しい。引っかかって強い反発を感じたりすれば、そっちの方向で記憶に残ることはある。しかし反発があるから、その通りにはしない。「納得がいかない」ことにはアスペルガーは非常に頑固だ。そう思ってもいないのに振る舞うことは拷問のようにつらい作業だ。我慢しているとストレス障害で体調までおかしくなる。

 だから長いこと考える。なるほどと思えるまで考える。その間、怒られたくないから表面的には指示に従ってはいる。しかし、それは非常にストレスが強い状態だ。そのストレスから解放されたいがために、納得できるまで考える。考えることが多いから時間がかかる。一度納得すると、思い込みが強いからそれに執着し、変更がきかない。

 子供は誰でも頭の中が「?」でいっぱいだろうが、自分の場合はあらゆることに引っかかっていた。「そういうものだ」と思うことが出来ないから、「なぜ夜、寝なければいけないのか」「なぜ風呂に入らないといけないのか」「なぜご飯を食べないといけないのか」といった具合に、何にでも疑問を感じていた。納得しないと進んで行動できない。嫌々やっている状態だとストレスが強い。

 「ご飯を食べるのは腹が空くから」と、すぐ理解できた。が、空腹感をあまり感じることがなかった自分は、その結論だと「じゃあ、腹が減らない限り食べなくて良い」と考えた。だから子供の頃から一日三食は食べない。今でも規則正しい食事習慣はなくて、「腹が減ったら食べる」。

 「夜寝るのは眠くなるから」が普通なのだが、自分は幼少時から入眠障害があって寝付けない。眠くなることがあまりない。ここでもまた「眠くないなら寝なくて良い」と開き直り、布団に潜っても延々と本を読んでいた。結果、朝は起きられない。これらは概念の話ではないのだが、体感が人と違うから(おそらく体内時計のサイクルが人より12時間長い)「そういうものだ」と言われても納得がいかない。結果、非常にひねくれた子供に見えただろう。ひねくれているでも良いのだが、ピンと来ないものは徹底してピンと来ないし、無理にそう信じ込むこともできない。

 

 恋愛というのが何か、自分はまったく分かっていない。昔から性欲の言い替えだろう、くらいに思っていた。しかし、他人に執着することがないわけではない。それを自分は執着と呼んでいたが、愛着のほうが聞こえは良いかも知れない。この愛着は相当に強くて、ベタに言えば「相手のことがものすごく好き」な状態だが、好きさ加減が半端ないので相手には迷惑がられる。しかも性欲ベースではないので、相手の性別は関係ない。おそらく一般の人なら「恋人にしかしないような態度」を友達に取る。

 一方で性欲ベースとなると相手の性別でまずふるい分けをするから、愛着の対象にはなり得ない。「条件付きの執着」となる。ちょうど仲間みたいな感じで、一緒に虫取りをする仲間や、サッカー好きな仲間と同じで、「セックスをする仲間」と思っている気がする。だからあまり執着もしない。いなくなるならいなくなるでまあいいや、代わりを探そう、みたいなノリだ。

 だったらセックスをする相手と愛着を感じる友達が同一人物なら恋愛じゃないか、と言われたらその通り。実際、そういう関係も経験している。が、やっぱりちょっと違う。独占欲が全然湧かなかったり、相手の私生活に全然興味がなかったりする。目の前にいない友達が今、何をしているかをいちいち気にする人はあまりいない。目の前にいるとき楽しく過ごせるかが問題で、それ以外の時間はどこで何をやっていようが干渉しないだろう。それと同じなのだ。友達感覚だから自由であり、相手を拘束はしない。ただ自分にどれだけ時間を使ってくれるかは気にする。その要求も高くはないから、せいぜい週に1~2回会うとか、1~2度電話で話すとかになる。四六時中一緒にいたいとは思わない。やっぱりどこか「フィクション中に描かれているステレオタイプな恋愛」とは違う気がする。

 じゃあ「ステレオタイプな恋愛行動」ができるのかと言われれば、そんなことをしたいと思わないから全然できない。つまり「納得しないと行動できない」頑固さがここでも発揮される。相手がそれを望んでいる、というのには合わせられない。自分がしたいかしたくないかでしか行動できない。多少は我慢して合わせることができるが、ストレスが強いから我慢の限界が早い。

 

 どうも自分は「恋愛に興味のないアスペルガー」のようだ。しかし、濃密な人間関係を望んでいないわけでもない。自分は友人・友達・友情・友愛の意味を把握している。アリストテレスの定義に従うからだ。結構信頼してる。恋愛に関してもアリストテレスに登場願おう。

 

 「いないときに相手を慕い、その人が自分のそばにいることを欲してやまぬ場合にのみ恋愛しているのである。」byアリストテレス

 

 これは分かりやすい。しかし、これはいわゆる「思慕」の感情だ。これでは友人に対しても恋愛していることになりかねない。そこはアリストテレス的には問題ない。何故ならピリアー(友愛)も恋愛の内に入れてるだろうから。

 「いないとき」とは四六時中だろうか。「いつも一緒にいたいと望む」のが恋愛と言うなら、自分はそれを望んだことはない。一日に何時間かは一人でいたいし、丸二日一緒にいたら三日目には離れたい。依存が起きて、いると邪魔だけどいないと空虚さを感じるといった経験はあるが、あまり芳しくない精神状態に思える。

 目の前に相手がいない時にも相手のことを考えるとか、会いたいと思う程度なら、自分は愛着の対象に「恋愛していた」ことになる。馬鹿みたいに長い手紙を書いたりもした。結局、アリストテレス先生の定義では恋愛と友愛の区別はつかない。そのサンプルがこちら。

 

 「愛とは、二つの肉体に宿る一つの魂で形作られる。」byアリストテレス

 

 魂とは何なのかが問題だが、「精神」だとするとなかなかハードルが高い。魂を共有する相手しか恋人じゃないと言われたら、殆どすべての人がここから除外されるだろう。が、アリストテレス先生がこう言い切ってしまう理由は自分には理解できる。完全な相互理解と対等な価値。アリストテレス先生がここで言ってるのは友愛だ。というわけで定義の追求は頓挫。

 (長くなるので詳しくは書かないが、2つ目の言葉はプラトンの提唱した、二人の人間がくっついて一体だった神話に基づいていると思われるので、そんな太古の人間はいなかったと知っている現代人にはあまり意味を持たないことを申し添えておく。)

 

 上の記事で「アスペルガーとの恋愛」のアドバイスがあるが、ピンと来ない。アスペルガーとの恋愛や夫婦生活でよく問題になるのがカサンドラ症候群だ。カッサンドラーとはトロイヤ戦争時のトロイヤの王女で、アポローンから予言の力を授かると同時に「誰もその予言を信じない」呪いを受けた。カサンドラ症候群とは「情緒的な相互関係を形成できないため生じる数々の身体・精神の不調」の総称で、正式な病名ではない。ウィキペディアには、

 「アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じる。」

と説明されている。こう書かれるとアスペルガーが随分と邪悪なもののように感じるが、カサンドラ症候群に陥る人は他人への期待値が高く、過剰に承認欲求が高いのだろう。すべてのアスペルガーを伴侶に持つ人が陥るわけではなく、組み合わせが悪い場合に陥るのだから相手を変えたら良いと思う。

 

 アスペルガーの人はそれなりに理詰めできちんと説明しないと理解ができない。行間を読むだの察するなどいう機能は持ち合わせていない。理解できないことを納得することはない。こだわりが強く頑固な側面もあるが、理屈が通ってしまうと情緒に固執しないから素直に納得することも多い。もちろん「言い負けて悔しい」という感情が沸かないわけではないのだが、それは不満にはならない。

 自分の場合、自分の様式(方法論や手順)に固執する。1つ1つのことに理由があるし、そこに辿り着くまで試行錯誤もしている。自分が知っている「最も合理的なやり方」だから正しいと思っている。だから相手もそう行動することを期待はする。しかし、「そのやり方は自分には合わない」と言われればそういうものかと思う。何故なら、他人のやり方に自分は決して合わせられないからだ。こういう風に相互理解というか相互不干渉が成り立っていけば、衝突する場面は少なくなる。それには説得と納得のための長い時間が必要になるし、それなりの根気が必要ではあるのだが、納得して折り合いがついてしまうと、その問題では2度ともめないくらい完全なものになる。

 しかし、これだとアスペルガーが女性で伴侶が男性の場合はまだしも、その逆だと不満が大きい気がする。過剰な共感や同調、情緒的なふれあい、予想外なサプライズとか、言葉にしなくても察してもらえる気持ちだとか、そういうものを期待する人はアスペルガーとつき合わないほうが良い。決まり切ったサイクル、変化の少ない安定した生活、適度な距離を取った各々の時間といったものを求める人には、これほどピッタリな相手はいない。

 

 そして何でも決め事を作っていくと良い。誰にでも得手不得手があるから、得意なほうが担当する。合理的判断というのがアスペルガーは好きだ。やり方が気に入らないと言われたら「自分でやれ」と言って良い。自分でやったら納得する。そうしたらそこで担当が決まる。「それにこだわる人がそれをやる」のが合理的だ。

 たとえばゴミ出し。分別にこだわる人がいる。自分がそれだ。分別にこだわりがあるから、いい加減なのは我慢できない。だからゴミをまとめるのは自分の担当になった。でも、やりたくない時もある。そういう場合は相手がやるのだが、そのやり方はとても気に入らない。「気に入らないなら自分でやれ」と言われるとグウの音も出ない。だから、こだわりが強いことには手を出されないように、先回りして自分がやる。やりたくない時はガン無視して、まとめたゴミを絶対見ない。見ると気分が悪くなるからだ。という具合に「折り合いをつける」。

 だから「決め事」と言っても、分担を決めたら絶対守るというわけではない。誰だってそうだろうが、自分が調子が悪くてできないのに「お前の仕事だろ」と言われたら腹が立つ。這ってでもやれと言うのかよ、とムカムカする。相手がやらない事は責めてはいけない。「やらない事を責めない・できない事を責めない・やってる事を邪魔しない」を守ると共同生活は上手く行く。

 「絶対に手を出さない」領域は決めたほうが良い。相手が強いこだわりを持っていて、触られたくないと思っている物とか作業だ。そこは徹底して手を出さない。アスペルガーがストレスを感じるのは、他人に合わせることだ。放っておかれる分には不満はない。(不満を言うアスペルガーは叱りつけて良い。)お互いの部屋を決めて立ち入らないとか、相手に干渉しない「協定」のような関係が作れれば、双方が快適に過ごせるのではないか。とはいえ、これじゃ友達同士の共同生活みたいで、夫婦の有り様とは思えないかも知れない。だから、そういうのを望む人はアスペルガーを避けたほうが良い。

 

 自分の場合、共感や情緒的な交わりがまったくできないわけではない。人にもよるのだろうが、共感をまったく必要としないわけではないし、共感がまったくないわけでもない。ただし、それは「言語によって明確に示される」必要がある。そうじゃないと共感を得たとは認識しない。それも「うんうん、わかる」という表面的な言葉では信用できないから、どのように相手が感じているのかをインタビューした上で評価する。そうでない限り「言ってるだけ」と見なす。相手が言った内容がズレていれば共感は成り立っていないと見なす。だから、相手の言ってることに自分が共感する場面は多少あるのだが、相手が自分に共感していると感じることは少ない。

 逆に、アスペルガーから共感を引き出そうとする場合、いくらしつこく言っても無駄である。適当に口先だけ合わせることはほぼないし、そう思わないのにそう思うと言うこともできない。情緒は決して説明できない。自分の述べた「意見」に対し、「同意できる部分はあるか?反対する部分はあるか?」を確認し、同意を得られた部分で納得するしかない。「誰々さん、酷いと思わない?」といった情緒的共感を求めたい場合、「どの行為が酷いと思うのか」を相手に伝える必要がある。自分の価値観はそぎ落として、事実のみを伝える。相手が「その行為は酷いとは言えない」と答えたら、それ以上は言っても無駄だ。次にできることは「自分の立場はこうである」を感情論ではなく状況で説明すること。そこで同意してくれる場合もあるが、あまり期待はできない。共感的理解能力は人によって差が大きい。「だったらつき合わなきゃ良いだろう」とサラっと言われて終わる。それに言い返すのも無駄だ。

 そもそもこういう共感を求めることが間違いなのだ。その機能はついていない。アンドロイドみたいなものと思って扱うと腹も立たないかも知れない。自分はアンドロイドみたいなものだな、と感じる時は多々ある。共感も同調もなく、ただ機械的に物事を処理している気分になる。その間、自分の情緒はまったく動いていない。ただ、データベースから「この場合はどう対処するか」を探し出し、そう行動しているに過ぎない。

 

 アスペルガーとのコミュニケーションでは、「指示は具体的に」「表現は的確に(曖昧な表現は理解できないか誤解を与える)」「論理的に順を追って説明する」と上手く行く。積極奇異型なら相手は受動的な人が相性が良いし、受動型なら働きかけが好きな人が良い。孤立型なら孤立型が良い。できるだけ興味関心が重なると良い。(一緒に話せる話題が増える。)過干渉な人、相手を自分の思い通りに動かさないと気が済まない人、依頼心が強い人は向いていない。過剰な感情表現を期待すると不満が強くなる。

 だからアスペルガーの男性と定型の女性の組み合わせはなかなか難しく、カサンドラ症候群に陥ることもある。逆に定型の男性とアスペルガーの女性の組み合わせだと、男性側が恋愛脳でなければ問題が生じにくいかも知れない。男性のタイプにもよるのだが、過剰な共感を求めたりしないし、過剰な期待もしないだろう。この組み合わせでは、生活上の能力の凹みが問題となることはあるだろうが、逆の組み合わせより上手くいく率は高い気がする。