言いたいことは山ほどある。

性別や障害、属性で気になること。

アスペルガーの特長

記事から引用。

 「社会生活で必要なコミュニケーション力、想像力、社会性の3つに障害があるとされる自閉症スペクトラム障害(ASD)。」

 

economic.jp

 正確ではないにせよ間違ってはいない。想像力の障害の意味は多義的でしばしば誤解もあるように感じるが、挙げている例は頷ける。(現在、アスペルガー症候群は正式名称から外されている。自分がASと略称する場合、自閉症スペクトラムを意味するが、Dをつけないのは意図的。)

 

◎「言葉を文字の意味通りに受け取る」

 子供の頃、「鍋を見ていて」と頼まれ、吹きこぼれるまで見ていて怒られたことがある。「鍋を見張っていて、吹きこぼれそうになったら火を止めなさい、もしくは火を弱めなさい」と言われたらそうする。しかも気を利かせて、指示も受けていないのに「吹きこぼれてるよ」と報告にまで行ってやったというのにだ。不適切な指示の責任をこちらになすりつける定型の邪悪さ。さすがに次の時には、「吹きこぼれそうになったら火を弱めて」という指示に変わった。

◎「相手の気持ちを想像できない」

 目の前で誰かがタンスの角に小指をぶつけて悶絶するのを見れば、自分だってさすがに「痛そうだ」と思う。想像ではなく経験だからだ。泣いてる人がいれば、悲しいんだなとか苦しいんだなと思う。(本人がそれで泣いた経験があればの話。なければ経験のある理由で想像する。)気持ちを想像できないのは、もっと抽象的で目に見えない事象の場合だと思う。

 自分の場合で言えば、友達を階段の上で突き飛ばした時、自分は「こんなことをしたら嫌われるのではないか」と想像はできていなかった。「相手が怒るかも知れない」とも考えてなかった。これをすると相手が怒る、という紐付けは極めて弱い。思ったままを口に出し、相手を怒らせることが多いのはそのせいだろう。何故なら自分はそれで怒らないから、もしくは怒った経験がまだないから。

 これは「想像力の障害」とも関連するのだが、主には「情緒のズレ」ではないかと考えている。自分の場合はこうだ、が強くて人は違うということが想像できない。自分がそう思わない場合、それがあり得ると信じられない。定型者だって他人の予想外の反応にギョッとすることは多々あるだろうが、発達の人は定型者のたいていの反応にギョッとしていると思って貰うと想像しやすいだろうか。発達障害は宇宙人のようだと言われるが、こちらからすると定型者が宇宙人に見える。

◎「音や匂いに敏感」

 自分の場合、匂いには鈍感なのだが音には敏感。どれが敏感でどれが鈍感かは人によって違いがあって一定ではない。匂いに鈍感といっても腐ってる物が腐ってるくらいは分かるし、異臭がすれば気づく。むしろ敏感な匂いもあって、苦手な匂いは微かでも気になる。その一方で、鈍感な匂いにはかなり鈍感。自分の場合、大小便は異臭に入らないのか鈍感。多少の腐敗臭も気づかないから、匂いで腐敗していないかを確認することはしない。(舐めてみる。)

 感覚過敏・鈍磨は五感すべてに及ぶ。聴覚・視覚は敏感な人が多いように思う。自分の場合、光の刺激どころか色の刺激にも弱いから黒いと安心する。定型の人は白が無色だと思うのかも知れないが、自分にとっての無色(無刺激)は黒だ。

◎「興味の幅が狭く、こだわりが強い」

 興味のあることにしか興味がない。興味のないことにはどうしても興味を持てない。ADHDのほうが極端らしいのだが、ASもこの傾向はある。だから学校の成績は科目ごとにかけ離れすぎるくらい差が出てしまう。自分の場合、漢字人名と無意味な数字を暗記することができず高校では日本史を捨てた。ところが世界史はできるのだから、単に好き嫌いにしか見えなかったろう。数字が苦手なわけではなく、文系数学は得意だった。が、これもスポット的にどうしても理解できないジャンルがあり、図形は得意だが微積分が苦手といった具合。これがあって理系は選ばなかった。好きな科目・ジャンルへの執着は偏執的で、過集中もあるし記憶力もそこそこあるから異常な点数を叩き出すこともある。

 

 ウィキペディア自閉症スペクトラム」より引用。

自閉症スペクトラムの診断基準としてローナ・ウィングらは以下の三つを上げている

  1.対人関係の形成が難しい「社会性の障害」

  2.ことばの発達に遅れがある「言語コミュニケーションの障害」

  3.想像力や柔軟性が乏しく、変化を嫌う「想像力の障害」

これを「三つ組の障害」と呼ぶ。」

 

 これはカナー型自閉症の説明で、アスペルガーの場合は言葉の遅れは見られないことが多い。逆に早熟な傾向があり、年に似合わぬ難しい言葉をやたら使いたがる。「社会性の障害」も、カナー型とはかなり違う。ただし、ルールを守っていても意味は理解していないことも多い。そのため「社会性が低い」行動を取りがちではあるが、それが障害とまでは言えないのがアスペルガーの特長。(個人差はある。)

 「柔軟性が乏しい」と「想像力の欠如」はアスペルガーでも同じだが、この表現がまた誤解を生んでいるように思う。

 想像力といっても空想力のようなものはある。人によっては強いくらいある。アスペルガーはゴッコ遊びをあまりしないと言われているが(自分もほとんどした記憶がない)、見立て遊びが好きな子はいるし、なりきりもできる。ゴッコ遊びが苦手な理由は、相手のいる遊びが苦手だからで、独りで見立て遊びをしたりなりきり遊びはする。ただし、なりきるのは人間ではない場合が多いかも知れない。床とか椅子とか猫とか死体とか、そんなのが多い。

 だから、ここで言う想像力とは「他人の気持ちを想像すること」なのだが、他人の気持ちが想像できないのは想像力云々より、情緒のズレに関係あるのではないか。人によっては共感力の欠如とも表現するが、自分なりに共感力はあると思っているので、それもちょっとひっかかる。自分から共感した場合は強烈に共感するが(感情移入とも言える)、相手からの要請でそれを自在に引き出すことはできない。ピンと来ないものは徹底的に理解できないのだ。そういうものだと言われればそういうものかと思うことはできるが、そこには何の共感もない。「言葉を文字通りに取る」のは自分の発する言葉でも同じで、思ってもいないことは言えない。だから表面上だけ調子を合わせることが非常に苦手だ。

 

 それと「記憶の特異性」だ。広く言われてはいないかも知れないが、記憶力の構造が定型者と違う気がしている。短期記憶・長期記憶の関係、記憶の構造、忘却のメカニズムが少し違う。取り立ててトラウマだとかショックだとかじゃない記憶が20年30年残る。何故、自分はこんなことを覚えているのだろうか、と不思議になるようなことを、ただ景色とか映画のワンシーンのようにハッキリ記憶している。言葉の断片などは強烈に焼きつく。そこに強い感慨を持っていなくてもだ。(基本的には意味の理解できないことは一切記憶できないのだが、この時だけは意味に関係なく記憶されるようだ。)

 定型者が普通にやる「記憶の組み替え」も比較的小さいように感じる。わりとそのまま覚えているのだ。そこに何らかの情緒がセットになっていれば、それをも薄まることなく記憶しているから思い出し怒りが多い。まるで時間をワープしたように、当時の感覚のまま怒りがぶり返して来たりする。

 アスペルガーはトラウマができやすいと言われているのは、こういった記憶の特異性が原因ではないかと思う。嫌なことを忘れることはできないし、良い記憶を選んで保持することもできない。印象の強さで言ったら嫌なことのほうが焼きつく。長期記憶は印象が薄れて細部を削り落として記憶されると言われているが、その加工があまり起こらない気がする。

 長期記憶が短期記憶のようなのも特徴だが、短期記憶も鮮明。先に意味のない数字を覚えられないと書いたが、覚えるときはとんでもないものでも覚える。文字列に意味のないコードとか、スペリングとか、よくそんなことを覚えられるなというものを覚えることがある。自分が苦手としたのは語呂合わせでの暗記。語呂の意味がまったく記憶できないから(こじつけや駄洒落が苦手とも言える)、歴史の年号はそのまま数字で覚えないといけない。数字の並びに意味はないし、関連づけもできないから覚えにくいというわけだ。

 記憶の加工が少ないと言っても、別に写真的記憶力とかではない。覚えていることしか覚えていないから細部が曖昧だったりはする。が、覚えていることなら匂いや音、空気感まで覚えている。覚えていないことはおそらく最初から記憶に留めていないのだ。つまり注意力が偏っていて集中型だから、注意を向けなかった部分は最初から見てさえいない。(あまり関係ないかも知れないが、自分の記憶には色が弱い。色を鮮明に覚えていないことが多い。夢もたいてい白黒だ。)

 

 「見てさえいない」は最近少し話題になった、「発達障害者はどこを見ているのか」という話題と被る。定型の友人と外を歩いていると、見ているものがあまりに違うので驚く。自分が「あれあれ」と言ってもたいてい見落としている。それは何故かというと、自分は視界の真ん中あたりに注意を向けていないのだ。通常は視界の真ん中を中心に注意を向け、端のほうは意識しないらしいのだが、自分は目の端の動くもの・コントラストの大きいものに気を取られる。

 きっかけになったのは人と待ち合わせをしているとき。携帯が普及する前は駅など人の多い場所で待ち合わせをして(たいてい自分は激しく遅刻するのだが)、お互い相手を探してキョロキョロする。定型の友人と自分とどちらが先に相手を見つけるかに大きな差はないが(自分は必死で相手を探して互角なのだが)、あるとき友人に「こっちを見ているから手を振ったのに気づかなかった」と言われた。ほぼ正面の位置にいたらしい。それから自分が視野のどこに注意を向けているかを意識するようになったのだが、たいてい真っ正面のど真ん中の物や人には気づかない。

 この「視点のズレ」は結構役に立って、建物や看板を探す時は便利だし(かなり早足で歩いていても目の端に入る看板が読める)、きっとこれは虫取りなんかだと凄く役に立つ。(実際、子供の頃、夏は虫取りしまくっていた。)視界の真ん中あたりがよく見えてないのは猫と同じだ。そこは映像が動かないからと言われている。猫の目は動くものに反応する。

 ADHDもかは知らないのだが、アスペルガーは色々と猫に似ている。単独生活者で群れない、過集中、落ち着きがある(落ち着きすぎ)とか。人類ネコ科ということにしておこう。